今日の作家展2004
  概要 智内 兄助 橋口 譲二 森脇 正人 楊 暁みん 会場風景 ギャラリートーク 横浜市民ギャラリー  



近年は中国の少数民族を取材し、
大地に生きる素朴な人々の姿を
大画面に描いている森脇正人氏。
コバルトブルーや朱の
鮮やかな独特の色使いが
民族衣装というモチーフに合致し、
その衣装に包まれた人々の
命の強さと尊さを
描いています。

2月28日 会場風景
自らの作品の前で語る森脇氏(写真右端)


生きる
図版1
《生きる》
1999年 188.0×188.0cm


遥
図版2
《遥》
2002年 175.0×400.0cm
愛知県美術館所蔵


ミャオ族の衣装
ミャオ族の衣装
(森脇氏所有)




1950年愛知県出身。
多摩美術大学日本画科卒業。
1975年の日展初入選以降、日展を中心に活躍。
1979年に故・奥田元宋の門下となる。
愛知県春日井市内の小・中学校美術教諭と
して美術教育に力を注いだ後、1991年に上京。
近年は中国の少数民族に取材し、
大地に生きる人々の姿を大画面に描く。
本展では大作8点を展示。


Q.
中国の少数民族を描き始めたきっかけは?

A.
最初は中国のことを描きたくて描いた訳ではないんです。5年位前に、ある画商さんに連れて行ってもらったんです。それで最初に出会ったのが《生きる》(図版1)に描かれているサニ族です。最初は軽い気持ちで中国に行ったのですが、まず衣装の色がきれいで感動的で。それから会話はできなくてもニュアンスで伝わる気持ちがとても素朴で、感動しました。こんな素晴らしい少数民族が中国にはまだ綿々と息づいている、しかも都会にこんな心の優しい人たちがまだ生きているのかと。でも帰ってから、それは少数民族村という色々な民族の人たちがいる所で、午後5時になると帰り、次の朝にまた来るという、観光客向けの村だと知りました。がっかりしましたが、中国に来てこんな出会いがあったことに胸が膨らんだのです。それで中国の赤い土坡(どは)を背景にサニ族の姉妹の姿を描きました。これが中国の第一作目です。
人間というのは段々と欲求が深まるもので、その後少数民族の人々が本当に住んでいる村に行くことにしました。まずミャオ族の村で行われた13年に一度のお祭りに取材に行きました。その後、今も裸足で生活しているラフ族》(図版2)の住む奥地にまで到達しました。今後は、チベット族とヤオ族を描いたらこのテーマをやめようと思っています。自分の中で構想があるんです。もし10年経ってもまだ描いていたらごめんなさい。


Q.
森脇先生の作品では、
暗い画面に鮮やかな色使いが印象的ですが。

A.
自分の絵は暗いのですが、人間の気持ちや、相反する生と死を表す時に、生を訴える赤と、死を象徴する暗い色が混沌と絵の中に入り混じっていると、自分の中でぴたっとする瞬間があるんです。単純に赤と黒だけではないですが、そういう理由で僕の中では赤と黒は必然的になくてはならない色になっています。


Q.
絵を描く時に苦労することはありますか?

A.
《生きる》ではお姉さんの背中にいる赤ちゃんが難しかった。この子が最初横を向いていて、なかなかしっくり来ないんです。ある時ペインティングナイフで消したら、赤ちゃんの目がふっと閉じて、お姉さんの背中に温かそうにうずくまりました。絵を描く時に、色々な思い入れがあっても、自分の気持ちを揺り起こすまでに時間がかかります。技法とかそういうものをある意味超越しているところがあるんですね。でもある時何かが降りてきて、その瞬間に絵が止まるんです。「フリーズ」という言葉がぴったりと来るような、自分が納得する瞬間があります。その時に手を止めるといい絵になるけど、まだよくなるだろうと思ってやり続けるとひどい目にあう。絵の場合、どの時点で筆を置くかも大事です。
技法的なことでは、《遙》(図版2)に使っている画面左側にかかる霧状の白い点をどう表すか、今までなかなか思うようになりませんでした。うまくいったのが、100円ショップで売っている小さい霧吹き。思い通りの場所に飛ばすことができるんです。胡粉(ごふん)をものすごく薄くして吹き付けて。その上から濃い岩胡粉を使って補筆し、霧がかった感じを出しています。



制作  横浜市民ギャラリー │ 作成日  2004年3月30日
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