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和紙にアクリル絵具という 技法を用い、土俗性と絢爛さを あわせもつ類例のない画風で 知られる智内兄助氏。 本展では長女・久美子さんを モデルに艶やかな 着物姿の童女を描いた、 1980年代の代表的な作品を ご紹介しました。 2月28日 会場風景 写真中央が智内氏 図版1 《天象 橋懸り 秋草》 1988年 165.4×364.0cm 東京オペラシティアートギャラリー所蔵 図版2 《界結べ》 1986年 164.0×127.0cm 1948年愛媛県越智郡に生まれる。 東京芸術大学大学院修了。1980年代前半より、 長女・久美子さんをモデルに艶やかな 着物姿の童女を描いた一連の作品で評価を得る。 1992年に新聞連載された宮尾登美子の 小説『蔵』の挿絵が人気を博した。 |
Q.
智内先生の作品にはホラーや ミステリー小説の挿絵によく使われるように、 独特な雰囲気があります。 何か原体験のようなものはありますか? A.
僕は瀬戸内の出身なんです。瀬戸内海は陽が燦々(さんさん)とさして、景色も美しい。なぜそういうところに育ちながらこういう絵を描くのかな、と絵を描きながら自分に問いかけていたことがありました。四国には八十八箇所の霊場がありますよね。子どもの時は自分で気づいていなかったのだろうけど。母親が白装束をつけて霊場に行く姿もありました。磁場のようなものだと思うんですね、じわじわと湿り気があって生暖かいような。娘を描き始めたのは、娘が自分の資質を脈々と受け継ぐ分身であるという発想からです。その娘を日本人の美意識の再現者や巫女のような存在として描いています。巫女のシャーマニズムというんですか、巫女さんの世界に僕は憧れていますし、彼岸と此岸を行ったり来たりできる世界にこの当時夢中でした。 Q. 《界結べ(かいむすべ) 》や《天象 橋懸り 秋草(てんしょう はしがかり あきくさ) 》では古い和紙が使われています。何か意図が? A.
和紙といっても普通は白い雲肌麻紙(くもはだまし)に描くんですよね。僕はもう少し、紙自体が個性を強く発しているのが良いと思った。じゃじゃ馬ならしというんでしょうか、向こうとこちらが響きあうような感じのね、喧嘩するような絵をつくりたかったんです。《界結べ》(図版2)の紙は、高知かどこかで雑穀を干すのに使っていた柿渋(かきしぶ)の紙なんです。柿渋をほどこしてあるから防水でしょ、だからある時は雨合羽(あまがっぱ)にしたり、使いに使った紙でした。この絵を描いた時には使い込まれて柿渋の撥水性が弱まって、日本画で礬水(どうさ)びきをした程度の水の吸い込み具合になっていました。なかなか手ごわい紙でしたけどね、でもこの作品の制作はすーっといけました。《天象 橋懸り 秋草》(図版1)の紙は信州の製糸場で繭(まゆ)を入れて運んだ袋です。破れたところは通い帳で補修したり、「望月製糸場」と墨書の文字が残ってますよね。使われた紙は時間も経ているし、適度な柔らかさがあって描きやすいというのもありますが、要するに僕は時間も味方にしたいんですね。紙が作られてから経った時間も自分のエネルギーとして助けてほしいというのがありましてね。使った人の愛着みたいなものも染み込んでいるし、いろんな良さが出てくると思うんです。だから古いものは使える範囲内で使っていこうと思います。 Q.
「橋懸り(はしがかり)」というタイトルが よく使われていますが、 どのような意味があるのですか? A.
僕は熱心な能の鑑賞者ではありませんが、能の舞台に出てくるまでの細い道を「橋懸り」と言います。そこを能の演者は行ったり来たりできるんですね。だからあの世に行ったりこの世に行くことが自由自在にできて、今の人とも昔の人とも話ができる。奇想天外というか、西洋にもあるかもしれないけれど、能の持っている融通無碍(ゆうずうむげ)というのか、チベット密教風に言えば輪廻転生というのでしょうか。娘を描くというのも自分の生まれ変わりであるという発想からですが、人間が生まれ変わる、あるいはあの世にもこの世にも自由自在に行って出会いがあるという世界を絵にすることにものすごく触発される。《天象 橋懸り 秋草》では登場人物の女の子が巫女のような役割をしていて、右が現世、左が来世、往復運動であの世に行ってまた戻って来る。そういうストーリーに、今でもそうですけど、その当時とりこになっていました。 |
制作 横浜市民ギャラリー
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作成日 2004年3月30日
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