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2006年06月03日

イサム・ノグチ探険記 鎌倉編[5月27日]No.1

【調査地:鎌倉[魯山人邸跡、円覚寺蔵六庵、神奈川県立近代美術館]】

イサム・ノグチ探険も最終日。
 この日も雨。イサムが山口淑子と結婚し、北大路魯山人の自宅敷地内の離れを借りて住んだ所へ。
 大船駅からバスで山崎迄。魯山人の邸宅は、今小学校になっており当時の写真から想像するしかない。
 1952年頃は、小袋谷から切り通しを通って臥龍峡へ入ったそうだ。小学校の校庭は広い田んぼで、そこを挟んで魯山人の住いとアトリエ、イサムと淑子の住いとアトリエがあった。気むずかしい魯山人もイサムにはとてもやさしかったそうで、イサムは魯山人の登り窯を使い陶芸作品を制作していた。時折魯山人から食事の招待があったそうで、田を挟んで合図があると云う。イサム、淑子は、今日の料理とそれらを盛り付けてある魯山人の器を想いながら、畦道を急いだのだろうか。イサムにとって家庭の幸せを味うことの出来たわずかな日々だったに違いない。

北鎌倉の円覚寺蔵六庵
 1907年、イサムと母レオニーが来日して2ヶ月で、父米次郎はこの蔵六庵に執筆のためにと云って籠っていた。庵は円覚寺の中ほどに今も残っていたが、寺の人が居住していて遠くから眺めるのみ。小雨にけぶる木々の奥に、ひっそりとある蔵六庵。ここは夏目漱石も執筆のため一時逗留した事があったそうだ。イサムは小石川で母と暮らし、母は英語の家庭教師をしていたため、留守がちだったろう。さぞ淋しい思いで、北鎌倉の蔵六庵に居る父の事を想っていたのだろうか。
 1907年頃、この五月の頃はうぐいすやほととぎすの鳴き声だけが聞こえたのだろうか。
 小雨の円覚寺蔵六庵のほととぎすの鳴き声は、イサムの想いと重なって切なかった。
(横浜美術館市民ボランティア 新堀好子)

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魯山人邸山門の前

投稿者 noguchi : 2006年06月03日 16:55

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