みなさんこんにちは。横浜美術館「イサム・ノグチ 世界とつながる彫刻展」の担当学芸チームと市民ボランティアによるブログにようこそ。このブログでは、チームメンバー4名の手記と、横浜美術館市民ボランティアの方々による「イサム・ノグチ探検記」を順次掲載していく予定です。私は担当チーフの中村と申します。本展会期中毎週1回更新を目指してチーム一同がんばりますのでどうぞよろしくお願いします。
さて、本展もオープンして早くも2週間が過ぎました。ちょっと遅れてしまいましたが、最初にこの展覧会の開催経緯を簡単に述べさせていただきます。横浜美術館でイサム・ノグチの企画展を実施することは、6年越しの念願でありました。ノグチは横浜と神奈川にゆかりの深い世界的彫刻家です。少年時代を茅ヶ崎で過ごし、横浜のインターナショナルスクールに学んだことがあります。1951年には女優の山口淑子と結婚して、鎌倉市山崎の北大路魯山人邸の離れで新婚生活をおくったこともあります。1965年から1966年にかけて、横浜市青葉区の「こどもの国」のために、プレイグラウンド(遊び場)を制作しました。これらを踏まえ、横浜美術館には開館と相前後して、≪真夜中の太陽≫や≪下方へ引く力≫など、イサム・ノグチの作品計6点が収蔵されました。それらは館内に常設展示されてきましたが、収蔵作品の魅力と作家についてより深く知っていただくためには、総合的な視点から紹介する企画展が効果的です。幸運にもニューヨークのイサム・ノグチ財団の理事をしておられるトーマス・メッサーさんに3年間にわたってゲストキュレイターをお願いする機会を得て、展覧会プランに先だって作家と作品の基礎研究を行うことができました。2004年がイサム・ノグチの生誕100年にあたりましたが、諸般の事情で2006年に開催することになりました。幸いなことに、イサム・ノグチの作品を収蔵する滋賀県立近代美術館と高松市美術館が共同開催してくれることになり、2004年以降は3館で準備を進めてきました。ニューヨークのノグチ・ミュージアム、牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館、香川県文化会館、ニューヨーク近代美術館、ニューヨークのジャパン・ソサエティー、同じくマーサ・グラハム・スクール・アンド・ダンス・カンパニー、東京の草月会をはじめ、日米あわせて17箇所からご出品をいただき、開催3館の所蔵品を加えて76点(内参考出品4点)で構成しています。最近2年間に、イサム・ノグチの展覧会が欧米や日本でいくつか開かれてきましたが、そのいずれとも異なるオリジナルの企画展です。
前置きはこのくらいにしまして、今回は本展のテーマ別展示についてお話ししましょう。
かつて「近代彫刻-オブジェの時代」展を担当したときには、グループ展でしたので、作家毎のまとまりを保ちながら考えかたの近い作品同士をグループ化する展示を行いました。このときはひとつひとつの作品の形が分類の指標として大きな意味を持っていました。
ノグチの作品は、常設展示で何度か展示替えをしてきたのですが、形として見ていると、どうにもとりとめがなくて、なかなか満足のいく展示ができずにいました。横浜美術館の6点の作品がそれぞれちがう系統の形であるということもありますが、見方によってはどれもあまりに単純な形で、あるいは建物との相性がうまくないのか、どこに置いても周囲が気になって、おさまりが悪いように思われたのです。
今回の展覧会の準備段階で、イサム・ノグチがのこした文章を読む機会を得ました。ノグチの言葉は対談においてさえも論理的で、しっかりした信念をもった明晰な人であることがよくわかります。その中で、「ものとものとの間の空間が彫刻的なのだ」という意味の言葉に出会いました。「人と、作品と、空間のリレーションシップ」という言葉も印象的でした。なるほど、今まで自分はいつもひとつの作品だけをクローズアップして分析しようとしていたが、そういう見方ではいかにたくさんのノグチ作品を見ても彼の真意はわからないのだ、ノグチはむしろ作品を置くことでその場の空間を作り替えようとしているのだ、ということに気づきました。
ノグチは、「作品が生きる」ということを繰り返し強調していました。彼は美術館での展示について懐疑的な言葉をのこしています。通り一遍の展示では自分の作品は生きない。作品は一握りの人たちのための飾り物ではないのだ。美術館の中では自分の作品は死んでいる、というのです。これは学芸員にとってはとても重たい言葉です。作品の配置までノグチの創作行為が及ぶとすれば、後世の私たちはどうしたらよいのでしょうか。
美術館に対するノグチの批判的姿勢は、おそらく作品を剥製や植物標本のように展示してほしくない、という気持ちに基づいていたのではないかと思います。作品を生きたまま、というより作品が生きるように展示するにはどうしたらよいか。逆の発想で、どうするとノグチの作品が死んでしまうかを考えてみました。年代順、技法別、形による分類は、いずれも植物図鑑や昆虫標本のような第3者的な指標に基づくもので、客観的にひとつひとつの作品を分類することにかわりはなく、今回のノグチの展覧会にはふさわしくないように思われました。
最終的にテーマ別の展示を採用することになりました。ノグチの作品は、ひとりの天才芸術家個人の表現であるよりも、常に普遍的な真実を主題にしているといえます。そのことを彼は「リアリティー」とか「世の中のスケールの一番大きなところ」と言っています。たとえば、中世ヨーロッパのキリスト教美術や、古代ギリシア美術と社会の関係を思い浮かべることができます。誰もが共有できる大きな世界観なり、真理があって、芸術家はまずそれに奉仕するために作品をつくっていたので、芸術は社会にしっかりと根付いており、芸術家もコミュニティーの一員として重要な役割を果たしていました。ノグチが世界各地の宗教的な史跡や神域を見て歩いたのは、そうした芸術のあり方に高い関心を寄せていたからだと思われます。ノグチの作品とタイトルを見ていくと、大きな共通項が見えてきます。「顔」や人間の身体の「変容」にかかわるもの、神話や民族的伝統にかかわるもの、社会的なメッセージが込められていたり公共の役に立つもの、自然や生命に関するもの、といった分類ができるとわかりました。こうしたテーマは、特定の時期や技法の作品だけに固有なものではなく、制作時期や形式を超えて継続しているということもノグチの芸術の特徴であると思います。 (中村尚明)
投稿者 noguchi : 2006年05月02日 11:59
今や有名なノグチテーブルで彼を知った私ですが、
小さな頃から彼の作品に『こどもの国』で触れていたと知り、
一芸術家としてのノグチとの距離が縮まりました。
この展覧会を見に行こうと思ったのは、
先日『スマステーション』(テレビ番組)でイサム・ノグチについてとりあげているのを見てなんですが、
このブログを読み「作品が生きる」展示を楽しみに
近々足を運ぼうと思っています。
投稿者 ane-mone : 2006年05月06日 22:49
ane-mone様
コメントいただき、ありがとうございます。今日イサム・ノグチ探検隊で「こどもの国」に行ってきました。おっしゃるとおり、あるときはテーブルとして、またあるときは遊び場として、ノグチは私たちの身近で彫刻が役に立つことを重視していました。今美術館に並んでいる彫刻たちも、「こどもの国」のマンジュウ山と同じ考え方で作られていると思います。是非展覧会の感想もお聞かせください。近々「イサム・ノグチ探検記」を掲載します。こちらもどうぞお楽しみに。
投稿者 nakamura : 2006年05月13日 17:43