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【調査地:藤沢・常光寺、茅ヶ崎・ノグチ旧居跡、菱沼海岸】
今回の探検隊は、イサム・ノグチの幼い頃育った茅ヶ崎を訪れた。
茅ヶ崎の前に藤沢本町にある常光寺を訪れ、ノグチの父であり、詩人であったヨネ・ノグチのお墓へ行った。ヨネ・ノグチの墓石は「品」のような形状をしており、二つの石の上に一つの石が橋のようにのっている。この墓石はイサム・ノグチがデザインしたものと言われている。イサムが「3」という数字にこだわっていたこと、ヨネ・ノグチが日本と海外の文化の架け橋をしたということから、3つの石からなり、橋のようにデザインされているお墓はイサムのデザインと推測できるが、定かではない。実際常光寺のご住職もイサムにお会いしたことがないそうだ。波乱万丈な彫刻家を生んだ父親のお墓にしては実にひっそりとたたずんでいて、静かに眠っているというのがヨネのお墓の印象である。
その後イサムが幼少時代を過ごした茅ヶ崎へ移動した。現在の鉄砲道と呼ばれるところから一本入った小さな道にイサムが暮らしていた「三角形の家」はあったと伝えられる。今はその場所は民家になっている。当時別荘地であったその辺りの別荘と別荘の間の三角形の土地に、母親レオニー、イサムと妹のアイリスは住んでいた。「三角形の家」はレオニーとイサムが建てた家である。イサムは大工と一緒に手伝いをしたそうだ。その「三角形の家」があったであろう道から海へ出た。現在の菱沼海岸である。遠くに烏帽子岩が見え、今では遊泳ができないその海で当時イサムは母親から泳ぎを教わったと言われている。
茅ヶ崎での幼少時代は混血児であることを理由に差別された辛い時期であるが、同時に日本の自然に触れる時期でもあった。探検当日、同じ空気をイサムも感じていたのだろうかと思いながら、当時もあったであろう大きな松やその周りの自然、潮風を感じた。(横浜美術館市民ボランティア 宮川朋子)
投稿者 noguchi : 2006年05月29日 11:43