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2006年05月29日

イサム・ノグチ探険記5月20日no.7

【調査地:藤沢・常光寺、茅ヶ崎・ノグチ旧居跡、菱沼海岸】

『野口勇とイサム・ノグチ』

 今回は、イサム・ノグチが少年期を過ごした茅ヶ崎と父・野口米次郎の墓がある藤沢の常光寺を訪問しました。
 茅ヶ崎で過ごした少年期は、多感な年頃でありながら「日米混血児・野口勇」として苛められた非常に辛い時期でした。また、父・米次郎はイサムたちの来日当初のほんのひとときを一緒に過ごしただけで、茅ヶ崎に家を建てる前まで、イサムは母と二人で転々と引越しを繰り返す生活で落ち着く場所がありませんでした。しかし、母レオニーと共同で家(三角形の家)を建てることで、「家族としての共同作業」が行われ、また、家そのものが彼の場所となることで、自分の存在について確固たるものがなかった彼にとって、短いながらも幸せな期間だったのかもしれません。
 今は跡形もない三角形の家ですが、建てられたと思われる界隈は、海風と太陽とのんびりした雰囲気で、母レオニーの「自然の中でイサムを育てたい」願いがこの場所へと導いたのだと思いました。
 藤沢の常光寺にある父・米次郎の墓碑は、ノグチがデザインしたと伝えられていますが、ご住職のお話しによると、記録が残っていないためはっきりとは分からないとのこと。しかしながら、墓碑は長方体の石3個が『品の字』の形で組まれており、ノグチが終生追求した「石・数字の3」の特徴的な要素は見受けられました。
 前述のとおり、イサム・ノグチは父・米次郎と一緒に暮らすことができず、その後も父への複雑な思いを抱き続けました。その彼が、父の眠る墓碑をデザインしたならば、彼の中での父への和解がこの墓碑に表現されているのかもしれません。
 今回訪れた2つの場所は、茅ヶ崎はノグチが日本人野口勇として生きた地であり、一方で、藤沢は世界で認められた芸術家イサム・ノグチとして訪れた地であることから、対極的な思いが残る土地と言えます。彼の複雑な人生の中で、この2つの場所で得たものが芸術として表現されている作品たちを、もう一度じっくりと鑑賞したいと思います。
(横浜美術館市民ボランティア 上野志乃)

投稿者 noguchi : 2006年05月29日 11:41

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