


去る3月6日から14日まで京浜工業地帯の心臓部「Think Spot Kawasaki」で開催された椿昇展「Gold/White/Black Complex」は、私たち「北仲スクール」が初めて手がけた大規模現代美術展である。初めてのことには、予想もできない事件が次から次へと襲ってくるものである。その意味では今回も最後まで波瀾万丈な展覧会だった。
| 椿昇展「Gold/White/Black Complex」 | |
|---|---|
| 会期: | 2010年3月6日(月)〜14日(日) |
| 会場: | Think Spot Kawasaki |
京都だけで行われた展覧会を首都圏で
京都国立近代美術館で「椿昇2004-2009 Gold/White/Black」が開催されたのは2009年2月17日から3月29日。当時館長だった岩城見一氏、学芸課長の河本信治氏が椿昇とじっくりと時間をかけて送り出した規格破りの展覧会であり、そのこともあってか、京都以外のどこにも巡回する予定はなかった。
美術館の吹き抜けになっているエントランス・ロビーには、よく形の分からない巨大な「マッシュルーム」と名付けられた白い固まりが通路を塞いで置かれていた。先端の方は中二階の方までぐにゃりと無理矢理に曲げられている。中二階にはコンピュータやモニターがいくつも並んだ「コントロールルーム」があり、モニターの画面にはスタンリー・キューブリックの映画「博士の異常な愛情」の映像が流されていた。
メインの展示のある3階に上がると、そこは反時計回りに歩く巨大な回廊のようになっている。南アフリカの鉱山労働者たちからサンプリングされた巨大な「十二使徒」のCGパネル、世界中の露天掘り鉱山の形を金属の塊に刻んだ列柱、椿自身が撮影した露天掘り鉱山の写真パネル、宇宙ステーションの巨大なペインティングなどが並べられ、中央の「玄室」には、金色の巨大な扉の上をぐるぐると回る周囲に「Radikal Dialogue」と刻まれたスターバックスの女神の形をしたコイン。さらにはバングデシュの「犠牲祭」で牛が殺戮されていく映像が周囲の壁に映し出されていた。展示物には何の説明もキャプションもなく、静謐な回廊を歩いていくと突然ピラミッドの玄室に紛れ込む。これは椿昇が作りあげた「人類の墓」なのではないかと思った。
これだけハードコアな展覧会にはめったに出会うことはできない。去年の秋、文部科学省の「戦略的大学連携支援」に採択され、ヨコハマ創造都市センターの真向かいにある「北仲スクール」(横浜文化創造都市スクール)を立ち上げることができるようになった時にすぐ私の頭に浮かんだのは、この展覧会を首都圏に持ってくることだった。椿昇とは、言うまでもなく2001年の横浜トリエンナーレで一緒に50メートルの巨大バッタと戦った盟友であり、彼とならたとえ低予算でも国立美術館で開催された展覧会を十分に再現し、いやそれどころかそれを凌駕する展覧会が作れるのではないかと思ったのだ。
苦戦の末に出会った、ぴったりの会場

臨海部の倉庫や廃校、廃工場などを中心に、場所探しが始まった。いろいろな方に紹介してもらったが、なかなかこれという場所に出会えない。最後に出会ったのが、JFE都市開発㈱が管理する旧日本鋼管体育館「Think Spot Kawasaki」だった。この体育館は昭和20年代に建てられ、日本鋼管の男子バレーチームの人気が絶頂の時には日本リーグが開催され、沢山の歓声で溢れていたそうである。内部には寝泊まりできる和室や会議室などもある巨大な施設だが、現在は体育館として使われることはなく、映画の撮影スタジオ目的で時々使われているという。長い間掃除されたことのない、ほこりだらけの観客席裏の薄暗い通路や、ステージ奥の副調整室を見ながら、椿の中では展覧会のプランが既に練り上げられていたようだ。
何と言ってもこの会場なら、美術館では全体を展示できなかった長さ30メートル、全周10メートルもあるあの「マッシュルーム」をアリーナに展示することができる。ロシアの核弾道ミサイルの実物大のサイズのあるバルーンは、設計者である椿も、バルーンの制作者たちも、今まで誰もその完全な姿を見た者はいない。この古い体育館の鉄骨がむき出しになったアリーナは、まるでこのために残っていたかのように、ぴったりの空間だった。
北仲スクールの活動の一環ということで、何人かの学生たちも準備段階から参加した。椿から展示プランが届き、石炭50袋の調達から、作品の搬入・搬出、パネルや看板の制作まで、専門業者の手を借りずに全部自分たちで行った。バルーンの組み立てや展開、広大な体育館の掃除などに思いのほか時間がかかり、オープンまで間に合わないのではないかと焦ったが、何とか無事に展示を完了することができた。
新たな意味と力強さをもたらした,場所の持つ力

「Complex」という副題は、「コンビナート」を意味する英語に由来している。この場所は日本における製鉄発祥の地であり、鉄鉱石と石炭は言うまでもなく鉱山と結びついており、この展覧会に新たな意味を与えている。展示は、京都とは逆の時計回りで始まり、観客席裏の暗い通路に新たに制作された「十二使徒」のパネルが設置された。この通路は鉱山の通路にあるような裸電球だけで照らされている。次の間に宇宙ステーションの巨大ペインティング、そこから狭い階段を上るとコントロールルーム。ここには元からあった古い調整卓の上に何台かのパソコンやモニターが並べられ、プロジェクターからはアリーナに向けて映像が投影されている。

ステージを渡り廊下にした壁には巨大なアメリカの露天掘り鉱山の写真パネル、そして次の間には金属の塊の列柱と、バングラデシュの「犠牲祭」の映像が設置され、最後にアリーナに出ると真っ暗闇の中で、色が少しずつ変わっていくLEDライトに照らされて浮き上がったミサイルが幻想的な姿を見せる。京都の時と比べると作品数は半分程度に減らされてはいるが、ぐっと凝集された力強い展覧会になった。まさしく場所の持つ力と作品の力が拮抗する、この場所でしかできない展示となったのだ。
世界に通用する展覧会を作れたという確信



だが、一般の人が普段めったに訪れることのない会場で展覧会をするのはなかなか難しい。一時間に一・二本しかない鶴見線や南武線の浜川崎駅からは道に迷う人が続出し、川崎駅からのバスも分かりにくい。オープニング・パーティには沢山の人が訪れたにもかかわらず、平日になると、がくんと観客数が減っていった。そんな時にふらりと訪れた森美術館館長の南條史生さんに、「こんなに世界でも珍しい凄い展覧会、もっと宣伝しないともったいない! ツイッターでも何でもいいから宣伝するんだ!」と発破をかけられたことから、その場でツイッターを始めたり、初日に来てくれたアーティストの大竹伸朗さんも「こんなヤバイ展覧会見たことがない」といろいろな人に伝えてくれたりと、クチコミで噂が広がり、最終日近くには毎日200人を越える人が来てくれるようになったのはとてもうれしかった。最後の土曜日には、京都展を開いた岩城・河本両氏に加え、水戸芸術館で椿の展覧会を企画した現・横浜美術館長逢坂恵理子氏を迎えてのトークショーが開かれ、用意した椅子が足りなくなり、観客席に立ち見が出るほどの大盛況だった。
何から何までが完全に手作りの展覧会であり、撤収作業も大変で早朝から暗くなるまで休憩なしに働かないとならなかったが、それでも学生たちをはじめ、この展覧会に関わったすべての人たちにとって、他では絶対に味わえない幸福な経験だったに違いない。自分たちの手で、世界に十分通用する展覧会を作ることができたという確信は、私たちに勇気を与えてくれた。そんなわけで、いま私たちは次の展覧会の企画を着々と進めている。

室井 尚 [むろい ひさし]
北仲スクール代表。横浜国立大学教育人間科学部教授。
北仲スクール(横浜文化創造都市スクール)
〒231-0003 横浜市中区北仲通5丁目57-2 北仲ブリック
みなとみらい線馬車道駅2番出口 徒歩1分
http://kitanaka-school.net