Catch UP? イベントレポート

創造界隈で行われたイベントを記録写真でレポート。

YCCセミナー 第2回:庄内映画村株式会社

YCCセミナー第2回目の講師は山形県の庄内映画村株式会社の代表取締役の宇生雅明さんです。
庄内映画村といえば、現在公開中の『スノープリンス』、アカデミー賞を受賞した『おくりびと』、『山形スクリーム』など、近年大きな話題を集めた数々の映画の舞台となっています。このような取り組みの仕掛け人のお一人である宇生さんをお招きし、山形県でどのような事が行われているのか、お伺いします。

日時: 2009年12月20日(日)14:00~17:00
会場: ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター
講師: 庄内映画村株式会社 宇生雅明さん

皆さんこんにちは、宇生です。よろしくお願いいたします。今日はお呼びいただきましてありがとうございます。私の本業はコンピューター関係でして、今もその仕事をやっております。それで、実は映画のプロデュースもやらなくちゃいけなかった、ということで、『蝉しぐれ』からなんですけれども、「庄内地方と庄内映画村」ということで、世の中ってのはわからないもんだなぁという話を、今からお聴きいただければと思います。

山形県庄内地方

まず、庄内地方というのをご説明しますと、山形県はちょうど顔の形のような地形をしています。その、前半の顔の表面の部分といったらいいでしょうか、頬骨から口にかけてのラインを挟んで海側が庄内地方、で山形市の方が内陸地方という風に言われています。庄内地方の面積が2,405キロ平方メートルあります。実はこれ神奈川県とほぼ同じ面積です。それで、人口はなんと、30万人しか住んでおりません。神奈川県は900万人住んでいます。ですから、30分の1というか、30倍空いてるということですね。で、見事な庄内米がとれる田んぼの一群があり、月山があります。北に鳥海山、東に月山ですね。そしてちょうど、内陸の山形市と分かれるラインの真ん中のところに月山があります。それから秋田との県境に鳥海山。『おくりびと』の本木君がこの鳥海山をバックにチェロを弾いていますが、あの風景のところです。

『蝉しぐれ』-奇跡の出会い

では、なぜこの庄内地方に行くことになったのか、ということですが、実は奇跡の出会いというのでしょうか、『蝉しぐれ』を撮った監督の黒土三男さんに、2001年11月の中旬にお会いしたんです。 黒土さんという方は、『オレゴンから愛』のシナリオを書かれた、元々はシナリオが専門で、映画監督もなさっている方です。その彼が、東京にある私の本業の事務所へ訪ねてきて、それで、じつはちょっと見てほしいホームページがあると相談されました。黒土さんはもう12年間『蝉しぐれ』を撮りたくて、脚本を書いているんだが、なかなか映画化できない。それで、お金をホームページで集めたいと。ホームページをプロに頼んで作られたんですね。それをちょっと見てほしいって言われて。非常に評判の悪いページなんだって言うんです。半年間で128のアクセスしかないと。

拝見したホームページは、自分は黒土三男という監督であると、それで藤沢修平さんの『蝉しぐれ』を撮ります。だからこの口座に金を振り込んでください、というような5ページくらいの内容でした。 まあ2001年ですから、今みたいな振り込め詐欺とかですね、そんなにはなかったんですけど、これはちょっとないでしょう、という話になって、で、ぜひちゃんとしたホームページを作ってくれと、言われたんですね。

それで、知り合いだし、じゃあちょっと検討しましょう、ということになりました。実は藤沢周平さんの作品、僕は一度も読んだことがありませんでした。 今は、藤沢周平作品は本屋さんに行くと平積みになるほどの人気ですが、当時はまだ本屋さんに、3、4冊しかなくて。それでも、その中の1軒に『蝉しぐれ』があったんです。とても厚い本なんです。見た瞬間に、これ読まなきゃいけないのかなーと思ったんです。ところが、読み始めたら面白くて。で、午後3時、4時くらいに買ってきて仕事全部ほったらかして、そのまんま読み続けて家にも帰らないで午前3時半くらいに読み終わりました。それで、ああ、これは撮りたいだろうなあ・・・って思ったんです。

それがエネルギーになりました。私の自宅というのは清里という場所にあります。住み始めて11年目ぐらいですが、コンピューターでやり取りすれば東京へ住む必要もないや、ということで家族全員で清里へ移りました。そこで、清里観光振興会という、ペンションやお土産屋さんが集まっている任意団体の理事をちょうどその年に務めていたんですね。年2回、研修旅行がありまして、その年、実は西川町という、月山の中にある町おこしが盛んな地に勉強会に行くことになっていたんです。僕は、『蝉しぐれ』で大変感動したものですから、藤沢周平さんのことを調べていたところ、山形県鶴岡市のご出身の方と分かったんです。で、鶴岡市は西川町と隣同士なんです。ああ、これはちょうどいいと、帰りに自費で全部回ってくればいいやと思いまして。で、西川町で、研修終わってみんなでお酒を飲んでいたときに、「僕は明日藤沢周平さんのふるさとへまいります」と言いましたら、当時実践女子大の教授だった、座長の松田義幸教授が、「なんのために鶴岡に行くんだ?」と。 実はこういう理由でこういうことで行きます、とお話ししましたら、いや、自分は鶴岡市の出身なんだよと言って、その場ですぐに地元庄内の代議士である加藤紘一さんに電話を掛けてくださって、当時の市長にも電話をかけて。 それで、3番目にその庄内藩酒井家18代目当主、酒井忠久さまにお電話をしていただいて。

で、いろいろ取り次いでくださって、その中で、忠久さまにお会いできたんです。その時に、黒土三男さんが藤沢先生からOKをもらっていた脚本を差し上げたんですね。そしたら、それがなんと、3ヶ月後に電通の専務の手元に渡っていた! というのは、酒井さまのお友達に東北公益文科大学の大島美恵子副学長がいらして、その方の旦那さんなんです、その電通の専務というのが。それで、めぐりめぐって。ちょうどその時期、『たそがれ清兵衛』を博報堂と松竹とで撮る話があったんですね。電通としては、これだけ素晴らしい脚本があるのになぜ撮らないんだ!っていう話になって。 翌年、最初の出会いから4ヶ月で映画化が決定してしまったんです。

『蝉しぐれ』の映画化に向けて

藤沢先生のふるさとは、金峰山のふもとにあります。この庄内平野ってすごいきれいなところなんです。冬は雪原、春になると、田んぼに水を引くんで鏡のように光るんですね。飛行機からみると、全面鏡のようです。それから緑になって、金色の稲穂になって、っていう風に変わっていくような場所です。

2003年の6月、松ヶ岡という場所で、『蝉しぐれ』のオープンセットを立て始めました。

『13人の刺客』を撮った宿場町のセット

東宝の美術さんが全部手を入れて作っていくんですが、新築のものをヨゴシという技術で、どこから移築してきたんだ、というくらい、もう何十年も使い込んだような建物に仕上げます。さらに、これを2003年の冬に「さらし」ました。「さらし」と言うのは、要は植栽の部分とマッチングさせていくと言うか、作ったばっかりのセットだと、まだ家全体が浮いてるので、半年から1年ぐらいおいてから撮影をするというものです。そうして、2004年6月、『蝉しぐれ』のオープンセットで撮影を開始しました。私は、この時にプロデュースを引き受けているんですが、もちろん、映画のプロデュースなんて、全然本業ではございません。

映画『蝉しぐれ』のプロデュースへ

ではなぜプロデュースを引き受けなきゃいけなかったのか。黒土さんが12年間思い続けた『蝉しぐれ』ですが、電通さんや東宝さん、制作会社さんなどが入って、現場製作費が決まったんですね。それでプロのプロデューサーが入ってスタートしたんですが、実はこの予算というのは、『水戸黄門』とか、テレビの時代劇を撮るような茨城県のワープステーション江戸とか太秦、そういうところで撮ることを想定して、決められた数字だったんですね。ところが、黒土さんとしては「ふざけるな」と。僕の『蝉しぐれ』をそんなところで撮れるのかって。それで、黒土さんの希望を実現する場合、全部をロケすると見積り額が、1億円オーバーしてしまったんです。結局は全国14か所のロケをやったんですけど、新潟から始まって、京都、大津まで全部回って東京でも撮り千葉でも撮り、当然庄内でも、オープンセット作っていますから。で、現場プロデューサーが、とても自分は責任持てないということで、降りてしまった。現場プロデューサー不在です。それで僕はこの『蝉しぐれ』の映画化のために、2年間くらい庄内へ何度も足を運んでいろんな方と会っていたものですから、白羽の矢が立ちまして、現場のプロデューサーをやらないかと。で、一晩くらい考えました。やったことないですからね、1億円の削減プロジェクトですから。まず制作のチーフたちに、どうしたら映画は安くできるんだって聞いたところ、一番は宿泊費、それからスタッフが借りるレンタカー代、そして3食のお弁当代があります、ということでした。まずこの3つをどこまで削減できるか。この庄内に、湯野浜という温泉街があるんですが、そこの満光園っていう宿の社長に、スタッフ全部ここに泊めたいんだけど、全部タダにしてくれないかって言ったんですね。そしたら向こうは目が点になっちゃって、「え、この人いったい何を言ってんだろう?」って(笑)。で、理由をお話しましたら、ちょうど6月から9月のまでの一番忙しいときに、5部屋、全部無料でまず、出してくれました。そこへ僕は毎日25人泊めて、それから第一ホテルさんもワシントンホテルさんも開業以来、こんなに安くしたことないっていう金額で、泊めてくれて。それから、山形トヨペットさんが車を提供してくれて。お弁当屋さんも原価ギリギリで作ってくれて。 『蝉しぐれ』は藤沢周平さんの代表作です。だから、地元が協力しなきゃって、みんなが協力してくれまして、9月に撮影終わった時に、1億円ぴたっと下がっていたんです。それから、神様が力を貸してくれて、長い撮影期間中の2日間しか撮影が遅れなかったんですね。映画制作の場合、1日撮れないと大体300万から500万くらいのお金が飛びます。それだけのスタッフたちが、宿泊して、それから、カメラやジェネレーターなどの機材レンタル代などもかかりますから。 そういうことがあって、見事に『蝉しぐれ』が完成したんです。

町おこし

実は『スイングガールズ』も山形で撮影された映画ですが、地元で「のろし」を上げて、全国で大流行しました。『蝉しぐれ』も、松ヶ岡という地にオープンセットを作って撮影したんですが、東宝さんより、「のろし」をずっとあげてくれという要望を受けて、約1年間、『蝉しぐれ』の「のろし」をこの松ヶ岡でやりました。松ヶ岡という土地は、酒井家の藩士達が明治8年に建てた、日本で最大の蚕室が、5棟現存しています。現在は開墾記念館やカフェギャラリー「待」、農具館や映画村の資料館などに活用して運営しています。それから、同じところに新徴屋敷があります。新徴組というのは江戸を守っていた新撰組みたいなもので、2LDKほどの屋敷なんですが、これが百何十棟あったそうなんですね。群馬とか千葉とか、神奈川の方もいらしたと思いますが、そういう方たちを全部庄内へ呼んできて食べさせた、という、その屋敷がそのまんま現存している。これを、『蝉しぐれ』の宣伝活動に使ったんです。でも、明治8年に建てられた蚕室の史跡を見に来る人ってどれだけいるのかって言ったら、本当に数少ない人しか来てなかったんです。ですから、いろんなことを考えました。資料館作って、食べ物もどういうのやろうかって、いろんなこと考えながらやってみたんですね。 2005年です。イベントをやったり、看板作ったり。 松ヶ岡って、庄内藩士3000人が明治維新後の廃藩置県で、全部クビになっちゃう。 そのときに侍が食べていくために、絹をやることになって、侍が開墾して、桑畑を作ってくんですけど、「侍がひと鍬加えて待にする」っていう。これを合言葉に、待カフェ、カフェ「待」なんてのを作ってみたりしました。それから、産地直売をやっていたんですが、名前が何にも決まってなかったんで、「あさどれや」っていうのはどうだろうって。 ダジャレですけどね、「あさどれや」ってどりゃー!なんていったり(笑)。それで、侍コンサートなど、イベントをいろいろやっていました。庄内の人たちって全国で一番孟宗竹食べるので、じゃあカレーに筍入れたらどうだって、「殿はんカレー」っていうのをつくりまして、ブルドックさんとJA全農庄内本部さんと協力して作りました。三万食作ったんですがあっという間に売り切れたという評判の筍カレーです。あと、庄内はお米の里ですから、お米ギャラリーとか、こういうプロモーション活動をいろいろやりました。

庄内映画村の誕生

ところが、2005年の8月に、『蝉しぐれ』の支援実行委員会が当時ありまして、委員会が、『蝉しぐれ』のオープンセット解体合意をしました。というのは、オープンセットの維持に年間600万位かかるんですね。 おそらく『蝉しぐれ』が終わる来年の春くらいで維持不能になるだろう、と。ただ、私としては『蝉しぐれ』のオープンセットと資料館をやめてしまったらどうなっちゃうんだろうと思いまして。ここには桜の木もあって、4月の半ば、古い大蚕室が5棟残っている間に、樹齢70年から80年くらいの桜の花が満開になると、すごく綺麗なんです。大蚕室も、修復が必要なんですが、史跡なので、国と県と市とがお金を出すんですが、もうひとつ、地元の人たちも費用負担しなければならない。松ヶ岡の地区に住んでる人たちは、いわば庄内藩士の末裔の方たちで、今は53戸あるんですが、その人たちが経費の何割かを負担するんです。修復費が1億円くらいなので、そのうちの1200万近くを松ヶ岡の地区の方々が出さなきゃいけないんですよ。53戸で割っても大変な金額です。これはなんとかならないだろうか、と。

実は、『蝉しぐれ』の資料館とオープンセットがあることで、ここを訪れる人が10倍増えたんですね。だったら、10倍増えた人たちを維持したいという風に思いまして、オープンセット潰しちゃだめだと思ったんですね。僕が映画人であれば、オープンセットは潰すものという業界の常識がありますので、何も思わなかったと思います。でも、僕は映画人ではありませんでしたから、なんとかこれを残して、人に見せていく、じゃあそのためにはどうしたらいいんだろうって考えた時に、ああ映画をもっと呼んでくればいいんだって思ったんです。

映画を誘致すること

『ジャンゴ』と『ICHI』。この2本、当時はまだ題名も決まってなかったんですよ。ただ、時代劇2本撮るって言うから、この制作をなんとか呼びたいと思ったんです。そしたら、偶然、制作会社が『蝉しぐれ』と同じ、電通さんだったんですね。それで僕は、東京へすぐ飛んで、その2本を、なんとか庄内で撮ってくれないかという話をしました。ところが、撮る場所が実は決まっていて、それは無理だって言われたんですね。この2本は、セットをいっぱい作んなきゃいけない。で、今の撮影予定地は、前の映画で作ったセットの残骸が何十棟もある。だから宇生さん、申し訳ないけど、『蝉しぐれ』5棟しかないから到底無理だ、と言われました。
ところが、「ただね、宇生さん、庄内でウン千万の金作れる?」って言われたんですね。建物建てるためのセット費用が足りなかった。では、「ウン千万作るって言ったら来てくれますか」、って言ったら、「行くよ、庄内素敵だから」って言われて。それで、「わかりました、ウン千万作ります」、って言って帰ってきたんですね。

映画の業界って、こういう名言があって、「男の一言、紙よりも重し」という言葉があります。要は契約書よりも重いってことです。一旦言ったら絶対実行しろよ、できなかったらお前は腹切れっていうことなんですね。それで庄内に帰ってきて、どうしようこうしようっていろいろ考えて。ただもう約束しちゃったんですから、駄目だったら家売ってウン千万円払わなきゃいけないんだろうなあ、って思っていたんですね。それで、『蝉しぐれ』の時に協力してくれた方々、酒井さまをはじめ、みなさんを集めて、実はこういう話でウン千万円をどうしても集めたいんです、と相談しました。そしたら、「うん、なんとかなんじゃないのか!」って言われて、「本当に何とかなりますかね!?」ということで、その受け皿としてできたのが、庄内映画村なんですね。

平野克己という、『おくりびと』の題字を書いた親友が、漫画を描いてくれました。 ヒューヒューと、松ヶ岡のところに空っ風が吹いていて、「これじゃまずいよ」って私が言っている。で、文殊文殊って6人の発起人が描いてある。で、「こんちは」って下で怖く描いてあるのが、三池崇監督。三池崇監督とロケハンしている最中に私は階段から落っこちて、足折って、松葉杖つきながら資金集めしたんですね。ですから松葉杖ついて松ヶ岡から来たっていう風にまたみんなが笑ってくれて、断れなかったって言う人も結構いっぱいいましたけど。

地域を興す会社

そのウン千万円をどうしたかといいますと、「映画の製作現場を観光客に見せて地域を元気にしよう」っていう基本理念で、 株式会社を作りました。それで、資本金をどうしようかっていう話になった時に、地域を興す会社なんで、全員を筆頭株主にしましょうっていうことで1口50万、上も下もなく50万で、100人集めようと。大変でしたが、それでも結局102名集まって、102名の株主で運営しているのが、現在の庄内映画村です。最初は、本当に牛肉屋のお店のご主人から、大会社の社長さんから、一律50万でした。全員筆頭株主ですから。いろんな方が集まってくださって。当初は37名の方が集まってくださいました。それで、私が約束したものですから、三池監督が庄内で撮るために、全部こっちへ振り替えてきたんですね。『ジャンゴ』と『ICHI』の映画が来たと同時くらいに、『おくりびと』が、実はおまけみたいな感じで来ました。まさかアカデミー賞になるなんて当時は思いませんでしたね。それで『蝉しぐれ』のオープンセットをトラックに乗せて移動をさせまして、広い農地をもっと広くして『ジャンゴ』と『ICHI』を撮ろうと思ったんですが、三池崇監督がこの場所を気に入ってくれないんです。「ええーうーん」て言ってるわけですよ。「スキヤキウエスタン」だから、荒野が欲しいって言って。それで、月山の山麓を使うことになりました。今の映画村のオープンセットになっているんですが、直線距離で2.3キロ、東京ドーム20個分の26万4千坪という坪数です。ここで、『ジャンゴ』のオープンセットができまして、10月でした、紅葉もすごくきれいな場所です。

実はこの映画、ベネチア映画祭で世界から7本選ばれてノミネートされました。賞は逃しましたけど、私も一緒にベネチア行かせていただいてレッドカーペットを歩きました。この後に『おくりびと』、そして同時期に『ICHI』のセットも組み込んで、撮影をしました。そして藤沢周平さんの『山桜』。これも、『蝉しぐれ』のオープンセットをちょっと改造して撮影が行なわれました。

それで今度は、ホラーコメディー『山形スクリーム』ということで、『テキサススクリーム』っていう映画がアメリカであったんですけど、地名が付いてるっていうんで山形という名前になりました。ホラーコメディーです。竹中直人さん監督主演で撮影をし、今年の8月に公開しました。0-100の映画でして、20代から30代期待、ということでした。ですからこの映画が面白いと思う50代以上の方でしたら、精神力が若々しいということになると思います。竹中さんも非常に庄内ファンになってくださいました。

庄内映画村オープンセットの概要ですが、26万4千坪あります。比較すると、日光江戸村が15万坪、岩手のえさし藤原の郷が6万坪、ワープステーション江戸が1万3千坪、太秦映画村さんが1万1千坪ということで、面積では今のところ日本一です。

『ジャンゴ』と『ICHI』は全部セットは解体しました。

『13人の刺客』を撮った宿場町のセット

『スノープリンス』を撮った場所もあります。それから『13人の刺客』を撮った宿場町、香取慎吾さんの『座頭市』を撮った漁村セットもあります。今は、去年の11月15日から12月28日まで大吹雪の中で撮影を行った『スノープリンス』が公開中です。これはぜひ、観ていただきたいなあと思います。東京で、お母さんと娘さんだけをお呼びして試写をやりました。その時に皆さんから一番多かった感想が、こんな美しい日本の風景って、どこで撮ったんですかって。もちろん庄内で撮ったんですけど、そんなアンケートでの反応が非常に多かったので、プロデューサーとしては非常に満足しております。

手作りの江戸時代の棚田のセット

来年5月に公開予定の作品用に、全部手作りで江戸時代の棚田を作りまして。畔道が江戸時代って1メートルくらいあったらしいんですね。全部手植えです。ここを見に来た人が、「ああよくこんな棚田残ってたね」とおっしゃいましたが、残っていたのではなくて、セットで全部作ったんです。土を入れて、肥料を入れて稲が育つようにして、育てたものです。で、山の中で漁村なんですけど、ここに魚見櫓っていう、ここから向こうが海ですよっていう設定のセットがあるんですが、オープンセットは山の中です。それで、海辺におんなじ魚見櫓の一列を作る工夫をしました。波でさらわれてしまうので撮影し終わって全部解体して、上にまた全部持ってきたんですけど、要は切り替えしてカメラを向けると、まるで山の中ではなくて海辺で撮ったみたいに見えるんですよ。

山の中にある漁村のセット

香取慎吾さんの『座頭市』は、2009年3月15日から2ヶ月間、60日間ずっと庄内で撮り続けまして、5月の15日にクランクアップしました。この作品は本当によくできました。あの香取さんが、SMAPの香取慎吾ではなくて完全に俳優香取慎吾になっている印象でした。素晴らしい熱演ですね。この香取慎吾さんの演技を観に行くだけでも、この映画は観る価値があるなあと、思います。フランスからカンヌの映画祭の人たちも取材に来ました。映画評論家も一緒にですね。


映画ロケ効果

さて、映画ロケと経済効果をお話したいと思います。
「東北地域への映画事業の継続的誘致のための経済効果と課題に関する調査」という、経済産業省と経済産業局が作ってくれた調査結果があります。東北で撮られている映画について、2007年は山形県が一番多く4本。この4本は映画村が持ってきた映画です。で、どういう調査かといいますと、直接的経済効果と、副次的経済効果があります。「直接的効果というのは宿泊費、飲食費、交通費、セット等ですね。 オープンセットとかレンタルです。「副次的効果」というのが、観光客です。これをどうやって出すか、といいますと、『フラガール』の例では、『フラガール』のロケ隊の直接費が4,955万円かな。 それで、全部の合計で11億7000万円の経済効果があるとします。 これは、ここの「スパリゾートハワイアンズ」の日帰りと宿泊の人たちの数字をある一定期間で集計したものです。ここで注目する数字は、国土交通省旅行と観光消費動向調査の東北への旅行中に消費する一人当たりの旅費額が、日帰り12,236円と、宿泊48,107円と算出されています。『蝉しぐれ』の場合は、オープンセットを作っていますので、直接費用が1億8,700万円です。それに、『蝉しぐれ』のオープンセットの一定期間の来訪者23,377人に対して山形県の観光者数調査によると、日帰り89.7パーセント、宿泊10.3パーセントとあります。ですから3億7,242万円、6億481万円という数字になります。

では、山形で撮影された映画の製作日数とスタッフ、『蝉しぐれ』30日間、『ジャンゴ』60日間、『ICHI』が30日間、『おくりびと』が22日間、『山桜』が10日、『山形スクリーム』45日間、『スノープリンス』40日間、『座頭市』が60日間、『13人の刺客』が40日間、『必死剣鳥刺し』が30日間、これだけの人たちが動いているんです。ここでスタッフたちが毎日泊まって、食事をしたことになるので、その経済効果といのはやはり確実にあると思います。『蝉しぐれ』の場合、公式には1億8,700万円という数字がでています。これだけの直接費が庄内にもたらされているわけです。それに副次的効果が、2004年から2008年8月で20万人、それから庄内映画村オープンセットに、2009年9月12日から11月11日までで3.5万人来ました。ですから、23万5,000人が庄内地方を訪れ、89.7パーセントと10.3パーセント、そして先ほどの12,236円、48,107円を掛ける。すると37億で、50億3,721万円という数字が出てくるだろうということです。この中には、スタッフやキャストが夜お酒を飲んだ額とか、そういう費用は一切含まれておりませんので、それを入れるともうちょっと多くなるんじゃないかなと。

都会からみれば「何だ、それしか来ないの」、かもしれませんが、地方にとっては、年間大体15万人から20万人来ると、その施設の運用が可能になるという形です。今のところ映画村オープンセットは17万から20万人規模の観光客があります。

映画誘致の秘訣

では、なぜこんなに映画が来るのか。 庄内には膨大な大地があります。2,405キロ平方メートルに30万人。神奈川県は900万人住んでらっしゃいますよね。庄内には、地域のために働く人がたくさんいます。私はここで、人との関わりを一番教わったんですね。庄内の人っていうのは原風景だけではなくて、日本人の心の原風景を持ってる方たちがたくさんいます。お米はおいしいです。野菜も魚も肉もおいしいです。景観・人・食、三拍子が揃った場所だということで、これ見てください。これ全部ボランティアの方々です。『スノープリンス』のテントを守るために、ボランティアの方たちが雪かきをしている。 これは『座頭市』の天童一家の中庭の雪下ろしをしているところですね。こんな感じで、みんなで雪かきをして。今年もまたやらなきゃいけませんけど、12月23日が決起集会で、この方たちの名前を「熱血!愛仁雪隊」という隊名をつけまして、3回ボランティアをするとこの真っ赤なコートがもらえる(笑)。

熱血!愛仁雪隊

 

 

 

 

 

 

 

映画村の2010年の取り組みですが、撮影予定が今7本入っています。それから『おくりびと』で使われた鶴の湯の移転が5月に予定されています。 この建物が取り壊されてしまいますから、それを映画村の中に持ってこようとしています。そこで、自然を満喫してセットを見ていただきたい、と。のんびりしていただく癒しの施設にしたいと思っていますが、ポイントは、庄内の歴史です。ここへくれば庄内の歴史がいっぱい分かっちゃうというですね、ヒストリーを盛り込んだ一つの施設にしていこうと考えています。人形劇団狐美里一座という、庄内の物語を非常に楽しく可笑しく、人形劇を使いながら演じる一座、それから庄内藩殺陣乃会。これは自動的にできたもので、『座頭市』や『13人の刺客』の時に、監督たちから、殺陣でエキストラもちゃんと剣道を習った人に、後ろで剣を振るってほしいと、要望があって。それで庄内藩殺陣乃会というのを作りました。会員が60名、3分の1が女性です。あと、昔語りですね。庄内弁で昔語りを話してくれる方たちがいます。

グローバル化の中で-田舎の暖かさ

いろいろ試してきたことで、わかったことがあります。 「観光は観動だ」と。やっぱり見て動くんだよね、ということで。狭いエリアよりは広域なエリアの方がやっぱり旅行客は喜ぶと思います。それからグローバルはやめて、本当にローカルで行こうって思います。グローバル化があまりにも叫ばれて、どこへいっても同じような駅とか街並みになっています。 田舎と都心の格差とかっていうんですけど、やはり田舎の良さっていうのは、その歴史に根差した暖かさというか、そういうものをやってかなきゃいけないんだろうなって思っています。 だから、風景・食・人が素晴らしいこと、今年、来年、いろいろ自分もやっていきたいなあっていう風に思っております。ということで、今雪の為に閉鎖しておりますけれども、2010年の4月にまた、オープンして、皆様をお待ちしております。ありがとうございました。

関連サイト

庄内映画村
http://www.s-eigamura.jp/

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