Catch UP? イベントレポート

創造界隈で行われたイベントを記録写真でレポート。

ヨコハマ国際映像祭2009CREAM

会期: 2009年10月31日(土)~11月29日(日)
会場: 新港ピア、BankART Studio NYK、東京芸術大学大学院映像研究科馬車道校舎、ほか、サテライト会場
詳細: http://ifamy.jp/

一口に「映像祭」といっても、映像というメディアがこんなにも身近で多様性に富んだ時代だからこそ、どこまでやるつもりなのだろう、と期待したのは私だけではないはずだ。箱に並んだチョコレートの粒を手にとる前に、中身が書かれた栞を読みたいのと同じで、まずは全部観るのはむずかしいからラインナップを調べて、観たい作品の優先順位を決めなければ。というわけでパンフレットを読むと、現代アートのビデオインスタレーションがほとんどだった。なぜ映画(ドキュメンタリー含む)やコマーシャル、PV、ライヴ映像などが、ほとんど出品されていないのだろうか? YouTubeもレンタルDVDも、これらのジャンルへのアクセス数は膨大であり、映像祭として、この注目度の高さにこそ言及すべきだと思うのだが、まだアートの文脈にこだわる理由は、予算だけの問題だろうか。

とはいえ救われたのは、富永昌敬、岩井主税といった若手映画監督による音楽をテーマにした作品の上映。そして日本科学未来館でこの夏に発表されたプラネタリウムの期間限定上映があったこと。詩人・谷川俊太郎が原案から構成までを手がけたこの異色の“星案内”は、試写で観て以来、ずっと魅了されていた。(通算で3回鑑賞)女優・麻生久美子の朗読は、星座にまつわる神話も宇宙の謎も明かさないが、これは地球と人間の営みをめぐる壮大な旅だ。インドネシアのバリ島、セネガルのダカール、ブラジルのバイーア、アメリカのニューオーリンズなど世界各地で採集された、海岸やストリート、祭や儀式の音が遠くからかすかに届き、地球を一周するうちに星の配置はぐるりと移動していく。視覚と聴覚の遠近をこうやってときどき変えてやれば、人は健やかに生きながらえるのかもしれない。プラネタリウムはまちがいなく人類の発明した、もっとも詩的な映像表現の1つだ。ごろりと床に寝そべって、天を仰ぎながら確信した。

 

ALFREDO JAAR
《THE SOUND OF SILENCE》 ,2006

BankART Studio NYK の展示にも光るものがあった。2007年のヴェネチアビエンナーレでは、キューバの貧しい少年たちとその暮らしを、無邪気に撮りためたアルバムのようにスライドショウに綴ったアルフレッド・ジャー。映像の影響力を信じる作家であるからこそ、あえて極端に凝縮された表現を選んだ。「The Sound of Silence」で、淡々と事実を語る言葉と、たった1枚のスライドが伝えるのは人間の尊厳と愚かさの表裏一体。(でもあの神々しい光に満ちた箱の小部屋はどうしても必要だったのか?)

Fuyuki Yamakawa《The Voice-over》,2008

山川冬樹の「The Voice-Over」を観たのは2度目だが、やっぱり最後まで聴き逃すまいと身じろぎもせずにじっとしていた。うちの祖母も母も私も、その優雅な艶のある声を聴くのを毎晩楽しみにしていたニュース番組の看板アナウンサー。若くして亡くなったその人を父にもつホーメイの歌い手。声の職人であった働き盛りの男と、その幼い息子のわずかに重なり合う人生を、たしかな声と歪んだ映像だけを頼りに、全速で駆け抜ける。映像への懐疑と、音声への執着。いろいろな意味で課題を残すこの映像祭を印象深いものにしたのは、皮肉にも、映像を声が凌駕することで肉親への敬意と愛情をかたちに残した、この作品であった。

私たちの時代の映像表現はいったいどこへ向かっていくだろう。その方向を指し示してくれるのが純粋芸術であるとは必ずしも言えないのではないかと思う。日々、目の前を流れてゆく膨大なイメージの奔流のなかでもちこたえながらも、ビデオアートは生き残るための岐路にある。
著者プロフィール

住吉 智恵 [すみよし ちえ](アートエディター・ライター)

東京生まれ。「ART iT」「BRUTUS」などに執筆する傍ら、アートバーTRAUMARISオーナーを5年務め、現在再開準備中。美術と同じくらい、映画、音楽、舞台、文学を愛する高等でない遊民。

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