情報誌 毎月22日発行

9月号 / 2010

:インタビュー「志村 信裕さん」

10.08.18


志村信裕さん

アーティスト
志村信裕 氏

NOBUHIRO SHIMURA

プロフィール

1982年東京都生まれ、横浜市在住。2007年武蔵野美術大学大学院映像コース修了。身近な素材を被写体とした映像を路地裏、樹木などの都市の隙間や建築内に投影するインスタレーションを展開する。主な展示に「赤坂アートフラワー08」、「黄金町バザール2009」、AIMY2009志村信裕展「うかべ」(横浜美術館グランドギャラリー・美術情報センター)などがある。2010年は「あいちトリエンナーレ2010」に参加。
志村信裕さんHP


(イベント情報)

「あざみ野ナイト」
8/29(日)18:00~20:30
会場:横浜市民ギャラリーあざみ野
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「黄金町バザール2010」
9/10(金)~10/11(月・祝)
会場:京急線「日ノ出町駅」から「黄金町駅」間の高架下スタジオ2棟、その他のスタジオと近隣の店舗、駅、大岡川、他
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「あいちトリエンナーレ2010」
8/21(土)~10/31(日)
会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、長者町会場、納屋橋会場、他
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毎日、人に会います

黄金町に引っ越されて、いかがですか?
環境は変わりましたね。こっちに引っ越してきてからは、毎日必ず人に会います。住んでいるところの1階はお店なのでお店の方に会いますし、外に出ると近所の方に必ず会う。黄金町エリアマネジメントセンターの前を通ったら、NPOの方にも会うし、ここで活動しているアーティストの方にも会うし...。
荻窪にいらした時には、毎日人に会うことがなかったということですか?
あまり会わないですね。 誰かが僕に会いに来てくれて会うことはありますけど、基本的には会わないですね。
黄金町に引っ越してきて「良かったな」と思うことはありますか?
昨年の横浜美術館との共同プログラム(横浜美術館withバザール)で黄金町に滞在制作をした時にできたつながりがあったので、ここに来た時にはみんなが帰ってきてくれたと歓迎してくれたのは嬉しかったです。それから、ここでは色んな創作活動をしている人がいて、今まで知り合えなかった職種の方もいます。そんな人たちと毎日会えるというのがとても刺激になります。

雨の日の《赤い靴》

2009年の出展作品《赤い靴》は、雨の日に見ると、さらに美しさが増すとお聞きしました。雨の日のほうがきれいだというのは、志村さんが発見されたんですか?別の方が発見されたんですか?
実は、作る前から予想していたんです。雨が降ったら地面がぬれるので、多分、光が反射してきれいになるんじゃないかなと思っていて。実際、アスファルトがダイヤモンドのように光る効果が生まれたんです。でもそれは、他の人には言ってなかったんです。展覧会が始まって、雨の日もあればそうでない日もあるんですけど、ある土曜の夜、展示場所に行くと映像を投影する路面に水がまかれていたんです。雨が降ったわけでもないのに...と不思議で誰がやったのかをスタッフに聞くと、「地元の小学生が『こっちの方がきれいだ』って水をまいてたよ」と教えてくれたんです。その小学生は雨の日に《赤い靴》を見て、映像が最も美しく見えるのは光が反射する雨の日、つまり路面がぬれている時だと発見したんでしょうね。そして、作品が一番きれいに見える状態を展覧会に訪れた人が見られるように、路面に水をまいてくれたんです。この出来事は僕にとって衝撃的で、考えもしなかった嬉しいハプニングでした。そこに住む人たちが作品を育ててくれるように関わってくれたことで、作品に対する自分の考えも大きく変わりました。
《赤い靴》
《赤い靴》黄金町バザール2009での展示風景
photo : Yasuyuki Kasagi


水がまかれていたのを見たとき、どんな感じでしたか?
誰がまいたかわからなかったので「いったい誰が?」という感じでしたね。それが大人でなくて、子どもだったというのが驚きでした。
その子は雨の日も作品を見ていたということですね。
その子が黄金町バザールに来る人たちに対して、水をまいて、作品を良く見せようとする行為だったので、それが余計に嬉しかったですね。

映像だからこそできること

志村さんの作品は《赤い靴》以外でも、壁や天井などスクリーン以外に投影されていますが、スクリーンではないものに投影しようと思ったのはなぜですか?
「映像だからこそできること」を考えた結果だったんです。例えば《赤い靴》の例でいうと、あれが彫刻だったり立体物だったら、街の道中で展示できないですよね。映像という形のない光だけだから展示できるんです。そう考えた時に、ただきれいなスクリーンに映すだけじゃなくて、もっと違う見せ方ができるんじゃないかって思ったんです。だから他にも階段や木の葉っぱに映した作品もあるんです。
「これに映してみようかな?」というアイデアは、考えに考えて出すものなのですか?それとも、何かのタイミングでふと浮かぶのですか?
最近は現場に行くとすぐ分かるんです。あいちトリエンナーレの構想を練る時もそうでした。《赤い靴》を観た実行委員会の方から「夜に見ることができる作品を街の中に作って欲しい。その場所も探してください」という依頼だったんですね。
「ここに映してください」じゃなくて、僕がそこに行って展示場所を探すんです。その時は、長者町という大きな繊維問屋街の中で、映像を映す場所はアーケードの「ひさし」にしよう!って、現場に着いて1時間くらいで決めてしまいました。それは僕が考えるというよりも、スクリーンになれる場所を探すと「映して欲しい」っていう場所が見えるんです。
「映して欲しい」と言ってるんですね。
それは、昨年の横浜美術館の「うかべ」展の時もそうでした。作品を展示会場ではなくて、館内の誰でも入れるパブリックスペースで展示するということになり、その時も映し出す場所は「自分で見つけてください」と言われたんです。でも、すぐに四カ所ほど見つかりました。そういうところは「映して欲しい」っていうのが見えるんです。人が普段目にしているのに意識しなかったような場所に自分にとっての「いいスクリーン」が眠っていることが多いですね。
《うかべ》
「うかべ」横浜美術館での展示風景
Photo:Ken Kato

それを感じとっているんですね。
はい。台北で滞在制作した木の葉っぱに金魚を映す作品も「ここに映そう」って、現地に着いた最初の日に決めたことなんです。
《Goldfish》
《Goldfish》台北国際芸術村での展示風景
photo : Chang Chih Chen


映してみて「あ、ちょっと違うな」っていうことはありますか?
ありますね。葉っぱも最初は全然うまくいかなくて一ヶ月以上も実験したんです。映像の内容に左右されますし、投影する場所に向かない映像だったりすることもあります。
スクリーンではないものに映し出すことによって、生まれる付加価値は何ですか?
最近、僕が例に出すのは「光を当てる」というフレーズです。光を当てるっていうのは、実際に光を当てるということだけではなくて、話し言葉で「今日は誰々さんに光を当てましょう」とか、「今回はこのことについて光を当てましょう」というふうに話す、注目させるという意味の「光」なんです。何かにフォーカスを当てる...例えば、屋外の作品であれば、昼間は太陽があるので周りの風景がすべて均等に見えますよね。でも、夜になって暗い中の一部に映像が当たると、つまり光が当たると、そこに注目できる。夜に映すからこそ気づけることが大事なんです。
ひとつを取り上げられるということですか?
そうなんです。道路のアスファルトや、台北でやった葉っぱ、階段も普段だったら何気なく見てるものなんですけど、映像という光を当てることによって、初めて気づける面白さがある。いつもは見えていなかったものが、浮かびあがるように見えてくるというふうにしたいんです。だからきれいなスクリーンを用意するよりも、みんなが見ているもの、知っているものに対して映像を当てるというのが、僕の作品の付加価値なのではないかと思います。

そういうふうに感じたあなたが一番すごい!

志村さんの作品を拝見して、最初に「きれいだな」と感じました。志村さんが作品を作る上で、色や形などへのこだわりはありますか?
色は観る人の記憶に残りやすいので、作品に利用している部分もあるんですが色がすべてではないんですよね。こだわりですか...そうですね、できるだけかっこつけないようにしてるんです。
作りこまないようにする...ということですか?
自分のセンスでゼロから新しいかたちや、色を作るんじゃなくて、みんなが知っているかたちや色を使って、それを違った角度から見せたいんです。例えば、画びょうがたくさん落ちてくる作品。普段の生活の中で、あまり画びょうをじっと見ることはありませんし「画びょうってカッコイイ」とか「金色できれいだ」とか考えないですよね。でも、あの画びょうがいっぱい降ってくる作品では、画びょうがこんなに美しいかたちだったのかと、気付いてもらえる。僕が画びょうのようなものを作りだすのではなくて、みんなが知っているものの中に眠っていた魅力を引き出すという方法です。
《translate》
《translate》武蔵野美術大学での展示風景
photo : Megumi Nakaoka


過去に行われたインタビューで、「ずっと見ていられるものを作りたい」とおっしゃっていましたが、志村さんが「ずっと見ていたいもの」というのは何ですか?
自然の現象ですね。水の反射だったり、木もれ日だったり。雨がつくる波紋とかも。
自然の動きというのは作品の中にも生かされているのでしょうか?
そうですね。例えば、雪が降ったら道が真っ白になって、いつもと違った風景になりますよね。《translate》 という、同じものが上から降ってきて埋め尽くすという作品も、みんなから「なぜ日用品を降らせるんだ?」って言われたんですけど、僕にとっては自然なことで、落ち葉とか雪とか自然のものが降って積もったときに、その空間が劇的に変わりますよね。その時の体験を参考にしているだけなんです。
私個人の感じ方なんですけど、志村さんの作品の流れがとても自然で、自分の中の記憶を拾い上げてくれるような感じがしたんですけど、そういう感じ方はどう思われますか?
そんなふうに、感想を聞けるのが一番楽しいです。そういう意味でも、あまり作品を作りこみすぎないというのが非常に重要なんです。そうすると、色んな人がバラバラな感想を言ってくれるんですね。「何とかに見えた」とか、「小さい時に見たあの風景に見えた」とか、意表をつくような感想も出てくることもあり、僕にしてみたら「そういうふうに感じたあなたが一番すごい」と思うんです。自分の作品より人の感想が一番面白いんじゃないかと毎回思いますね。
作品を見ている方に直接、感想を聞かれることもあるんですか?
感想を直接聞くよりも、展示場所でお客さんのフリをして人が話しているのをそっと聞いたりするのが好きなんです。
《赤い靴》では、お子さんや高齢の方など、色々な方が見にこられていると思うんですけど、どんなふうに作品を見ていらっしゃいますか?印象に残っているのは?
小さい子は映像を足で踏もうとして遊んだりしますし、小さい子が家族と一緒に作品を見てる光景を何度か見かけました。元々、夜は人通りがほとんどなかった暗い場所に子供の声が響き始めたことが嬉しかったです。地元の方が「仕事の帰りにあそこを通るのが楽しみだ」って言ってくださる方がいたり...。
《赤い靴》にでてくるスニーカーは、自分が落としてそれを撮影しているんですか?
僕の映像作品は毎回実写なのですが、《赤い靴》も実際に300回以上は落としてるんです。当然、靴が裏返ってしまうこともあるんですが、それは自分でコントロールできないんで、表になってきれいな落ち方、かわいい落ち方のものを選んでいるんです。だから、使われていない映像のほうが圧倒的に多いんです。

作品として見なくてもいい

今年の黄金町バザールの出展作品について教えてください。だいたい構想はできているんですか?
作品は屋内・外にそれぞれ1点ずつを考えています。 ひとつは、自分の住んでいるところが初音町にある「ちりめんや」の2階なんですけど、その脇に細い道があって夜は暗いんですね。そこで、その細い道に映像を投影できないかと言われています。ただ、そこはほかの道に比べると、人がたくさん住んでいるところなんです。僕もそこに住んでいるので日々観察してみたんですが、夜になるとみんな仕事から帰って必ず通るんです。なので、刺激が強いものは映したくないなと思ったんです。「ちりめんや」ならではの物を使って、家に帰る人たちをそっと迎い入れてくれる...そういうものが作りたいって思っています。
もうひとつは「昼間でも見ることができる作品を作って欲しい」と言われて、以前はお店だったところを改装して展示会場にしようと思っています。ものすごく狭い空間があって、1.3畳分くらいの部屋なんですがそこを使おうと思っています。今まで展示してきた中でも一番小さな空間なんですけど、極端に小さいからこそ出来ることに思い切って挑戦してみたいと思っています。
自分の作品をこんなふうに見てくれてらうれしいとかありますか?
乱暴な言い方ですけど、最初は作品として見てくれなくてもいいと思っているんです。今年の黄金町バザールの作品も、その場所を主役にした映像作品なので、作品というよりもその場所に起こるひとつの現象、あるいはそこに溶け込んだ風景として体験してもらえたら嬉しいですね。
「作品としてではなく」とは、どういうことでしょうか?
作品となると、みんな考えてしまいますよね。「何でここで?」「何で赤い靴なんだろう」って。まずはそこをとっぱらって欲しいというか、観た人の第一印象を大事にして欲しいんです。それは、『きれい』でも『かわいい』でも何でもいいんです。その時、なるべく作った本人である自分は消えていたいんです。作者がどうしたかったかっていうのは、別に考えなくてもいい。あなたがどう感じたか、何を発見したかということが大切だと思うんです。
これから挑戦してみたいことはありますか?
今は屋外でやる展示に非常に興味があります。
それは、パブリックな場所でやるということなんですが、今まで僕はどんな作品に対してもきっちり計算して展示をしていたんです。階段教室でやった作品も赤坂の料亭でやった作品も、その場所に合わせて作品をコントロールしてきたんですけど、作品を外に出すと僕が予想できないことがぽんぽん起こるんです。雨が降ってくる、子どもが来る...というような計算できないことが入ってくる。それに、展覧会に見に来てくれた人ではなくて、たまたま通りすがった人たち、つまり、作品を見ようと思っていない人たちが偶然作品に出会った時にどう反応するのか、という新しい視点も見えてくる。一歩外に出ることで今までに経験できなかったものが作品に混ざってくるというのが面白いですね。だから、今は外が一番面白いですね。そこで何が作りたいかというと、作品というよりも「パブリックスペース」が作りたいんです。最近考えているのは、映像でなくて「東屋」を作りたいなと思っていて。
「東屋」自体をですか?
東屋は日よけだったり、雨宿りに使ったりと機能性がありながらも、その中で休むと景色や風が気持ち良く感じられるフレームにもなっていますよね。そんな東屋のような存在にもなる作品を作りたいなと。そこに作品一つあることで人が自然と集まれて、周りの環境を楽しめるような場所を作りたいんです。今までは、美術館とかギャラリーなどで作品を展示して人を呼びこむという構図だったんですけど、それは観る人を限定してしまうとも言えます。そうではなくて、作品が街の中に入っていくことでもっと多くの人と作品が出会えるようにしていけたら面白いと思っています。
志村さんの作品には、人が重要なキーワードなんですね。
はい、人がいないと成立しないんです。

2010年7月 黄金町エリアマネジメントセンターにて


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