情報誌 毎月22日発行

7月号 / 2010

:インタビュー「矢内原充志さん」

10.06.15


矢内原充志さん

デザイナー 矢内原充志 氏
MITSUSHI YANAIHARA

プロフィール

1995年に渋谷の桑沢デザイン研究所(KDS)ドレスデザイン科を卒業。 1997年からダンスカンパニー「ニブロール」に衣装兼アートディレクターとして参加。 2001年には自身のブランド「Nibroll about street」を設立。 2002AWコレクションからファッションショーにて発表し始め2004SS~2007SS迄東京コレクションとして発表。また、「NICAF国際コンテンポラリーアートフェスティバル」、森美術館「六本木クロッシング」展、東京都写真美術館「恋よりどきどき」展等にインスタレーションや絵画を出品するなど美術家としての一面もある。

デザインファッションスタジオ ニブロール


イベント情報

「横浜ランデヴー ストア 2010」
日時:2010年6/5(土)~7/11(日) 10:00~18:00 
※会期中無休
会場:象の鼻テラス
料金:無料
詳しくはコチラ


「ランデヴー プロジェクト」
「横浜ランデヴー プロジェクト」とは?


「ランデヴー プロジェクト」は、スパイラル/株式会社ワコールアートセンターが2000年にスタートした「アートの実社会への応用」をコンセプトに商品開発を行うプロジェクト。企業が持つ専門性とノウハウ、アーティストやクリエーターの創造性と批評性を活かし、ミーティングを中心に積極的にテーマ開発を行い、様々な可能性を模索しながら商品制作を行うというもの。2004年から静岡県で4年連続で行った「静岡発!ランデヴー プロジェクト」では、ひびのこづえと株式会社水島工業による「ひのきのはきもの」などの製品化を実現。

「横浜ランデヴー プロジェクト」では、アーティストやクリエーターと、横浜市を拠点とする企業のほか、日本で失われてしまった手作業によるモノ作りをカタチにする、横浜市内 の地域作業所とのコラボレーションが進行中。
初年度のテーマである「ピクニック」アイテムに加え、地域作業所の方々の熱意と笑顔によって、手作りのぬくもりを感じさせる商品が完成。それらの商品を「横浜ランデヴー ストア 2010」で展示・販売している。 (~7/11(日)まで)

横浜ランデヴープロジェクト

 

最初は何もできなかったんです

子どもの頃から洋服がお好きだったんですか?
好きか嫌いかといえば、好きでしたね。だけど、絵も描いていたので、服だけ好きだったというわけではないんです。子どもの頃の僕のうちは、お姉ちゃんが二人、おばあちゃん、お母さんがいて、お父さんはほとんど家にいないような感じだったので、いつも男は僕ひとり。女性に囲まれている家だったんです。
僕には、みんなの服装をチェックするという役割があって「出かけるんだけど服はこれでいい?」とか「これ変じゃない?」の質問に僕が答えていたんです。自分では、よく覚えてないんですが、お母さんやお姉ちゃん曰く、小さい時から変なものは「変」、変じゃないときは「変じゃない」と、はっきり言う子だったみたいです。
今、振り返ってみると、その体験が洋服とつながっているのかなと思ったりします。
それとは別に、高校のときから現代美術が好きで、高松次郎さんとか荒川修作さんの作品を見に行くことがありましたね。東京の学校に入ることになったときに、絵という選択肢もあったんですが、絵を人から学ぶというのがイメージできなくて...。そして、桑沢デザイン研究所っていうところに合格したんです。そこのファション科のドレスデザイン科にはいったんですが、最初はもう全然ダメ。何もできなかったんです。でも、なんとかかたちになって、卒業するころには自分のブランドを始めることができるようになりました。
「ファッション業界に入りたい!」と思っていたわけではなかったんですね。
そうですね。今でもあまりファッション業界にいるという自覚はないです。
対社会としてはデザイナーをしているっていうくらいの意識しかなくて...。愛媛でアートフェスティバルがあるから何かやって!と言われて、一生懸命考えて、結局「大人の基地づくりプロジェクト」っていう、空間のプロジェクトになっちゃったというようなことも多々あります。当時も別にファッション業界に入ろうとか思ってなかったし、例えばコレクションのあと、こうやって(コレクションが終わって、モデルたちと一緒に肩を組んで出てくるデザイナーをジェスチャーで表現)出てくるデザイナーに憧れたことも一度もないんです。
ただ、桑沢デザイン研究所で技術を身につけたことによって、色んな道を広げることができました。舞台衣装の仕事や、建築の仕事がそうですね。それは良かったなと思うんです。
ファッション業界に入ってみたら、イメージと全然違った...というようなこともなかったということですね。
僕はなかったですね。そういう業界的なギャップもないし、田舎者なのに、カルチャーショックを受けるようなことが一切なかったんです。
もともと自分の中に業界のイメージがなかったんで、ギャップもなかったんですね。でも、そういう話はみんなから聞きますね。実際、僕の会社...っていっても個人事務所みたいなものですが、みんな最初の半年ぐらいはインターンで入って、それからだんだん仕事ができるようになって、そして、正式にうちの会社に入るという感じなんです。今、アシスタントが3人いるんですが、インターンの間に辞める子も多いんです。辞めるっていうのはネガティブなことではなくて、インターンでの間にニコルに就職が決まってしまったり、ギャルソンに決まってしまう子がいるということなんです。力がある子は残ってくれるほうがうれしいんですけど、微妙なところですね。彼らの中には、就職してからイメージとのギャップに悩んで、またうちの会社に戻りたい!という子もいるんです。そんな時には「そこにいなければ経験できないこともいっぱいあるから、3年ぐらいは頑張って!」と言いますね。

「私キュロット、はきません」

ウェブサイトで2009年秋冬のお洋服を拝見しました。商品名がとても面白くて思わず笑ってしまいました。商品名は制作のどの段階で付けるのですか?
パターンがあがったときくらいでしょうか。そこで決まってますね。
それは、矢内原さんがつけるんですか?
そうですね。「ニブロールアバウトストリート」っていう、自分で持っているブランドに関しては、生地、オリジナルテキスタイルのデザインからパターンをひいて、商品にするときまで全工程に自分が携わっているんです。
もちろん、ウェディングドレスのディレクターとか、そういうほうではディレクションだけとかデザインだけとかということも多いんですけど、自社のものは発表の場、実験の場でもあるので、図面も自分でひいてやっているんです。なんとなくストーリーがあって、図面を描き始めて、図面が終わるくらいに、商品はもうだいたい見えているので。その時点で商品名のようなものは決まってます。どうしても決まらなくて「後で...」というのもありますけど。
商品が出来上がる前に決めてしまうわけですね。
そうなんです。例えば「私キュロット、はきません」というタイトルのキュロットスカート。
人によって着るものへのこだわりって、あると思うんですね。例えば「ジーンズは履かない」とか「キュロットは履かない」とか「ニット帽はかぶんない」とか。そういうこだわりという部分で、「どこにでもある服じゃいやだ」という人が、うちのブランドを買ってくれているわけなんですね。それにプラスアルファで、じゃあ「ジーンズは履かないけど、うちのジーンズだったらどう?履いてもらえます?」って。しかも強いメッセージではなくて、うちのブランドがそういう存在だったらいいな...ってそういう軽い雰囲気でつけたタイトルなんです。「もうキュロットを履かない」って決めている人に向けて「どうですか?」っていう、そういうアプローチです。
あのキュロットは売れているんです。確かこの3年で、ピースで400ピースくらいは売れていますね。おしりが小さく見えるとかいうことで、フォルム自体は好評で、これからも生地を変えて出していこうかなと思っています。

12メートルぐらいのドレスを作ってしまって...

「舞台衣装」と「プレタポルテ」をデザインされるときの取り組み方の違いは、どんなところにありますか?
僕は姉が振付家なので、舞台衣装家というよりは一緒に舞台をつくることからはじめていったんですね。だから、今でもニブロールのコンセプト文は僕が書いています。別に僕じゃなくても、誰が書いてもいいんですけどね。ニブロールには一般的なピラミッド体系はなくて、みんなで「これにしよう!」と決めてから動きだす団体なので。もちろん、振付家から、こういうふうにして欲しいっていう場面もあるんですけど、逆に僕が赤いドレスを3着作っちゃって「これ何とかして!」ということもあるんです。ディレクターがフラットに集まってディレクションする団体、スタッフ側の団体っていうのが、ニブロールの特性、ニブロールの大元のコンセプトなので...。

舞台衣装だけで呼んでもらうことも結構あるんですが、僕はオーダーがくるのを待たないタイプなんですね。ディレクターから、こんなふうな衣装を作って欲しいというオーダーがきたら作り始める、というのが普通だと思うんですが、僕は脚本が手元に届いたらすぐに考えはじめちゃう。だから、僕がニューヨークリンカーンフェスティバルでやったときも、お芝居の中の心中のシーン、黒人がひとりで話すシーンがあったんですけど、そのシーンでワイド12メートルぐらいのドレスを作ってしまって...。そのシーンは、オープニングがあって、間があって、3部目だったんです。だけど「こんなの作られちゃったら転換ができない」って、ディレクターが、なんとか構成をオープニングに持ってきてくれて、うまくビジュアルをつないでくれたんです。

毎回、勝手なことばかりしているわけではないんですが、オーダーしたものを忠実にではなくて、オーダー以上のもの、いい意味で期待はずれなものを楽しみにしてくれる人の舞台衣装しか作っていないんです。役が決まっていてこういう職業、警官なら警官の衣装にしてくださいっていう仕事は、僕じゃなくてもできるし。舞台衣装をやるときっていうのは、わりとそういう、恵まれたケースがほとんどですね。空間・時間を含めて、全体をビジュアルディレクションしているような感覚が強いんです。だから、もちろん映像にも口を出すし、照明にも口出す。(笑)だから、何も知らないスタッフさんは「あの人は何屋さん?」って感じでちょっとけむたがられたりはするんですけど...。
プレタポルテのほうは、いかがですか?
プレタポルテは、女性像を描いたり、プロダクツ自体にどのくらい思いを込められるかが大切なことだと考えています。その服が町の景色を変えるのか、誰かの思いを変えるのかわからないけど、結果、どうなるのかを楽しみにして、ビジョンを描きます。作るときっていうのは、そのプロダクツに注視しているので舞台衣装とプレタポルテ、この二つの違いはスタート時のとらえ方ですね。

それからプレタポルテには制約があるということですね。百貨店におろすなら、このくらいの品質表示のほうが...とか、選択耐久とか、原価はいくらぐらいになるとか、コートは38,000円以内におさまらないなとか、そういうふうに条件がいっぱい入るんですが、それはそれで、制約の中でやること自体が、今はすごく楽しいですけどね。昔のように自分の思いのすべてを服づくりに閉じ込めようとするふうには思ってないので。ただ、クオリティーとか、品質とか値段とか色んな意味で、世の中にあるものに負けたくないというような気持ちはあります。でも、制約が重荷っていうふうにはぜんぜん考えなくなりました。大人になったということですかね。
舞台衣装を作られるときには、どういうことを心がけて作っていらっしゃるのですか?
あえて衣装を作らないときもあるんですよ。
この間、国際舞台芸術フェスティバル、フェスティバルトーキョーでやった公演では、衣装のリメイクとメンテナンスを頼まれたんです。「花は流れて時は固まる」というBATIKの過去作品だったんですけど、僕がやったことは、スタッフに「ちゃんとメンテナンスしろよ」と言ったことと、余計な衣装をなしにしたこと。「これ着なくていい、これも着なくていい」 って。
プロダクツで何かを表現したいとは思ってないです。「それは僕が作りましたよ」とはしたくないし、むしろ、舞台全体として伝わるようになればいいかなと。だから、時には、衣装をなくしてしまうこともあるんです。舞台のときは、そういうふうにビジュアルディレクションをしている感覚ですね。10月の愛知トリエンナーレも服を作る予定はないんです。今のところは空間が浮かんでるのと、絵を2枚ぐらい描いているんです。今進んでいることはそれだけです。

僕はきれいに並べただけなんです

「横浜ランデヴープロジェクト」についてお聞きします。今回、寿町の福祉作業所「風のバード」さんと共同で作られたトートバッグ「マサコちゃんの時間」は、どのようなプロセスで進められていったんですか?
最初に、僕以外のアーティストも含めたスパイラルのみなさんと一緒に、顔合わせという感じで作業所に伺ったんです。そこで、織っている方の様子を見せていただいたんですが、その時は単純に「面白いなぁ」って、そして「贅沢だなぁ」と思ったんですね。僕も1メートルに1週間かけて織物をしてみたいなぁって。そこでの話の中で、僕が「うちに面白い生地がいっぱいありますよ」と言ったら、作業所の方が「はぎれでもいいので、持ってきてくれたらうれしい」と言って下さったんです。そして、2日後にはぎれを渡しに行ったんですが、そのときに「その織物で何かを作ってみましょか?」というような話になって、織物をいただいて...物々交換のようなものですね。時間もなかったので、うちのアトリエで僕が組み立てて、あとはスパイラルさんと話そうねっていう具合で作っちゃった、という感じです。
織られた方たちが、完成作品をご覧になったとき、どんな様子でしたか?
喜んでましたよ。
それから、象の鼻テラスで織物の実演みたいなことをしたんです。それが良かったらしいですよ。みんなに見てもらってコミュニケーションしたあとは、作業効率が倍になったらしいです。みんな、精神的にもぎりぎりなところもあるから、みんなに見られながら作業して、へこんで帰ってくるようなこともなくはなかったらしいですが、ここでやったのはうまくいったみたいで、逆にモチベーションが上ったとか。僕も何回か行っているうちに溶け込んできて、最近は、僕が行って喫煙所のところでタバコを吸い始めると、みんな手をとめて来てくれるようになりました。僕も居心地がいいんですけど、僕が行くと作業のじゃまになっちゃうんですね。(笑)
普段、お洋服を作る工程とは違った工程で進めてられているんですね。
そうですね。手織りは意外にゆるいので、最初に生地のすべてにロックミシンをかけてから始めるんです。ロックをかけとかないと、やってくうちにバラバラになっちゃうんです。そういう手間はかかります。
「織物をトートバッグにしよう!」と思ったのはなぜですか?
僕はきれいに並べたという感じなんです。時間をかけて織った織物は、彼らが積み重ねてきた時間のそのものなんですね。だからこそ生地幅を生かして、簡単に作れるもの、織りを見せるだけのデザインでいいかなと。
織物の良さが、伝わりやすいようなデザインに...ということでしょうか?
そうですね。幅もまちまちなんで、サイズとか規定もある程度しか決まらないと思うんです。それにゴミも出したくないんで、生地幅いっぱいで、作っているんです。自分が一緒に何かを表現しようというわけではないんですね。ほんと、並べただけです。

マサコちゃんの時間


Photo:Woolman
矢内原充志×NPO法人空「風のバード」
「マサコちゃんの時間」

今回のコラボレーションで発見はありましたか?
発見はたくさんありました。
その中でも、デザインするものすべてに必ずしも「モダン」という思想はいらないな...ということに気がつきました。
もちろん、モダンっていうのは大きな価値基準で、自分もその中で育ってきているので、否定はできません。だけど、それに、プリミティブなものやトライバルなものっていうのは、のっていかない、伝わるものにならないな...と気が付いたんです。彼らが作った織物を見て、技術以外にもステキなものはたくさんあるなと思って。いつもならモダンをとりいれた僕のデザインが商社に渡り、2日後にはバングラディッシュに行って、翌月に5000着納品される...そんな世界にいる僕にとって、このことはとても大きな発見でしたね。トートバッグは、いっぺんにたくさんは作れないので織物ができたら作る、という感じで象の鼻テラスで販売をしようという話にもなっています。
企業や地域の作業所の方と、共同でモノづくりをすることによって生まれるものは、そのモノ以外に、どのようなものがありますか?
僕は横浜在住で、自分が横浜の企業のひとつでもあるので、お手伝いしやすいことはたくさんあるのかなと思うんです。横浜ランデヴー プロジェクトの前にも、色々な企業さんと一緒に仕事をしているのですが、スパイラルさんが入ってくださることで、今まで自分が1対1でやりとりしていたときとは違った広がりが生まれるんです。
例えば、近澤社長と僕とでモノを作ろうっていったら、レースとかデザインを提供して、モノを作ってプロダクツを元町と高島屋におく、そして、売り上げ、インセンティブ...というプロセスで企業とデザイナーというからみになってしまうんですけど、今回のように、ウェディングの企画をやりたいって方がいて、スパイラルさんのコーディネートのもとで、近澤社長に会うことで、もっと違う可能性も見えてくるんですね。色んな方が入ることで1:1の関係でない、色んな人の思いが入ってきて今までとは違ったリレーションシップになるのが、面白いなと思うんです。僕ひとりでは広がらないこともあるし。
今後、どういうふうにモノづくりをされていきたいですか?
一番に心がけていることは、モノを作ることにしても、イベントひとつやるにしても、世の中にわざわざゴミの山を作りたくないっていうこと。

僕は、デザイナーなので自分が企画したデザインが知らないところで何万着も作られていて、ゴミになっているということがありうるわけです。大手商社さんに企画を10個書いたら、何万着できちゃっているかわかんない。つまり、僕らはゴミを発生させている側の人間なんですね。今はデザイナーとしての力もないので、受けた仕事にはきちんとこたえて行く...ということになってしまうんですが、自分からはじめることに関しては、ちゃんとニーズに向けたものづくり、ディレクションをしたいと思っていますし、そのための洋服の見せ方、伝え方、売り方とかを考えて行動したいと思っているんです。
例えば、シーズンというカテゴリーじゃなくて、ストーリーというカテゴリーで通年売ってもいいかなって。そういうのは、ちょっと業界の人にはけむたがられるかも知れないけど、SS(春夏)とかAW(秋冬)とかそういうカテゴリーをやめて、うちは物語ごとに「ヘアースタイルのように」っていうカットソー10着。「私なのか、ネコなのか」ファーと毛足のある起毛のものを10着とか、そういうふうに分けてもいいんじゃないかなと。世の中で、そんなふうに考えていける人は、結構いるんじゃないかとも思ってます。服作りと伝え方に関しては、業界の常識とか慣習にとらわれずに、規模が小さい分自由にやっていけたらいいなと思ってます。

(2010年4月 象の鼻テラスにて)

ランデヴー プロジェクト
スパイラル/株式会社ワコールアートセンターが2000年にスタートした「アートの実社会への応用」をコンセプトに商品開発を行うプロジェクト。企業が持つ専門性とノウハウ、アーティストやクリエーターの創造性と批評性を活かし、ミーティングを中心に積極的にテーマ開発を行い、様々な可能性を模索しながら商品制作を行うというもの。2004年から静岡県で4年連続で行った「静岡発!ランデヴー プロジェクト」では、ひびのこづえと株式会社水島工業による「ひのきのはきもの」などの製品化を実現。

横浜 ランデヴー プロジェクト
2010年にスタート。3月に象の鼻テラスで開催した「横浜ランデヴー プロジェクト展2010―ピクニックスタジオ―」では、アーティストやクリエーターの提案するアイデアと試作品を展示された。現在もペット用品の開発などが進行中。

スパイラル/(株)ワコールアートセンター
1985年10月に東京・青山にオープンした複合文化施設「スパイラル」とそれを運営している株式会社ワコールアートセンターのこと。2000年より日本各地で「ランデヴー プロジェクト」を企画・運営している。

象の鼻テラス
象の鼻パーク内にオープンしたアートスペースを兼ね備えたレストハウス。象の鼻の歴史的背景を舞台に、新たに創造と発信を行う「文化交易」の拠点として、「様々な人や文化が出会い、つながっていく空間」をコンセプトに、定期的に展覧会や、ワークショップ、パフォーマンスなど文化プログラムを展開。テラス内に設置された「象の鼻カフェ」では、出会いの語らいの場を充実させるメニューを提供している。スパイラル/株式会社ワコールアートセンターが管理・運営。


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