情報誌 毎月22日発行

2月号 / 2010

:表紙の人 早川貴泰さん

10.01.15


早川貴泰さん

アーティスト 早川貴泰さん
Takahiro HAYAKAWA

プロフィール

早川貴泰(はやかわたかひろ):アーティスト / 映像ディレクター /九州大学 ADCDU 学術研究員。 1979年山形県生まれ。高精細環境でのアニメーション表現の可能性を探求している。個展「Asian Animism and Animation」(Thailand / 主催:国際交流基金 ) をはじめ、国内外での招待上映、受賞、コラボレーション、講演、ワークショップなど多数。CHEMISTRY 「Period」 music video制作にディレクターとして参加。
早川貴泰さんホームページ

山村浩二の「私が推薦しました!」

早川作品は、初期の頃から手描きの動画とデジタル処理による複製と増殖によって成立していて、その精度は、映像機器の進化と比例してどんどん加速している。人間の知覚の根源的な部分を刺激する生命的な動きの有機性と、作品構成の抽象性とのバランスが心地よい。常に映像技術の先端を見据えた彼の挑戦は、新しいアニメーション言語を探っているようで、アニメーションでしか成り立ち得ない映像の可能性を示してくれる。
山村浩二さんWEBサイト:「YamamuraAnimation」

早川貴泰さん「KASHIKOKIMONO」

《KASHIKOKIMONO》2004年、8分50秒、アニメーション


早川貴泰さん「えん」

《えん》2007年 フルハイビジョン・アニメーション


早川貴泰さん「塵芥集」

《塵芥集》2008年、6分、4K・アニメーション


※ 「ヨコハマ・アートナビ」では、東京藝術大学大学院映像研究科の協力により、若手アニメーション作家をご紹介しています。毎月、登場する作家は、『頭山』や『カフカ田舎医者』で世界最高峰のアニメーション映画祭のグランプリを多数受賞した、山村浩二さんによるセレクション。2009年5月より、作家のインタビューとともに動画を配信しています。(~2010年4月)

フルハイビジョンよりもさらに高精細な4K映像を使うなど、最新技術を取り入れたアニメーションを作る早川さん。デジタルを取り入れつつも手描きで描画することにこだわる、独特の手法についてお話を伺いました。

情報誌「ヨコハマ・アートナビ」平成22年2月号表紙掲載作品
《KASHIKOKIMONO》2004年、8分50秒、アニメーション

ともかく、よくわからないんです。

「KASHIKOKIMONO」についてお聞きしたいと思います。コンセプトはどのようなものですか?
コンセプトになったものがふたつくらいありまして、ひとつは、日本的とか日本人とは何かというところと、もうひとつは、神とは何か?ということでした。この二点においては、なんとかその本質に迫りたいという衝動を常に持っていました。
作品からは、もののけとか、畏怖、気配とか、そういう印象をうけたのですが...。
第一印象でそのように感じていただけるのは非常にうれしいです。まさにそういったものを表現したいと考えてました。でも創っている時は、最終的にどんな作品になるか自分でもよくわからなかったんです。僕はコンセプトを立てて、それに関連する造形のルールだけを決めて、最終的なビジュアルは出たとこ勝負なので。結果、あのような作品になったのは、僕がたまたま日本人だったから。「神様って何?」みたいなものを考えていった結果、畏怖とかもののけみたいなものにいきついたのではないかと思います。
いつごろからそういうことを考えるようになったんでしょうか。何か具体的な体験があったりとか?
いつからですかね?体験というものがあったのか、ずっと最初から体験していたのかわからないんですけども、とにかく、小さな頃からすごく怖がりだったことは確かです。今だに怖がりなんですけど。天井裏には何かいると思ったり。昔のことでよく覚えていませんが、勝手に想像だとか妄想をして「なんかお化けとかいたらどうしょう・・・」ってトイレとか行けなくなっちゃうような感じでした。今思えば、八百万の神々の気配を様々な場所に感じていたということでしょうか。というか、そんな体験は、日本人なら皆あるのかもしれませんが。ともかく私は、色んな国や地域にいろいろな神様がいてそれを信じたりしているけれど、その神様に非常に興味があるんです。皆、神さまをありがたがったり祀ったりしけるけど、「それって何なの?」と。
「それって何なの?」というのは存在自体のことですか?
そうですね。「神様」は存在するのか?ということです。宗教上、僕はアグノスティックと言って、神の存在を科学的に検証した結果、やっぱりいるかどうかわからない、という立場をとっているんです。それは、信じているとか、信じていないとかじゃなくて、色んなかたちで検証してみたけれども、やっぱりわからなかったという立場なんですが、ともかく、「神とは何か」がわからないんです。もしかしたら、人間の脳とか、人間が生物としての能力のひとつとして、宗教だとか、神様みたいなものをつくってしまうとか、もともと脳の機能の一部に「神様ジェネレータ」が存在しているのかもしれないしとか。それともそういう話ではなくて、超自然的というか、サイエンスで解明できないことがまだまだありますから、科学じゃないもうちょっと別の概念が新しくできたときにまた解明できるようなものがあって、そのときに解明されるような超越的なものがあるのかも知れないとか...。ってただの妄想ですけど。ただ、大いなるもの、つまり神様のモデルになった何かみたいなものは、存在するんじゃないかとは思っているんですが。
なるほど。神って何だろうと考えるとき、表現するうえで「畏怖」というところは、はずせないことだったんでしょうか。
そうですね。畏怖とかおどろおどろしさは、はずせなかったですね。神っていうのは、そういうものなんだろうと考えてます。だから神なんだろうって。僕の中では、神=森羅万象と考えていて、万物の総体として宇宙があって、その宇宙そのものや宇宙の法則みたいなものを神様って呼んでる、というイメージなんですけどね。例えば、人間の身体が何十億個の細胞でできてる。細かい無数のものでできたひとつのかたまりですよね。細胞1個1個が生命だとしたら、我々の体は有機的存在の集積でできているわけですけど、たぶん宇宙とかも、そういうものなんじゃないかと。これは勝手なイメージですけどね。その有機的なものの圧倒的な集積やそのエネルギーを「神様」と言っているんじゃないかと。宗教上の頂点というか、その主体になっているのは、そういった集積の総体自体だったり、そこにある法則だったり、そういうものを他の人にわかりやすく具体化したものが神とかそういう存在なんじゃないかって思うんです。
どうしてそこに畏れがあると思われますか?
そうですね。それは、人間っていう個体に対して宇宙や神様がすごく大きいからじゃないですかね。圧倒的にかなわない、運命とか死とかかなわないものがいっぱいある、そういうものに対して、ある種敬服するというか、かなわないということを悟るというような。そういうところから畏怖みたいなものが出てるのかなと。

アニメーションの新しいスタイルを求めて

ストーリーや説明を加えずに、映像だけの印象として表現しようとしたのはどうしてですか?
本当は、ストーリーものを作りたかったんです。もともと僕はアニメ好きで、ガンダムとか作りたくってこういう世界に入ったんです(笑)。でも、自分にその才能がないってわかった。はっきりとそう思ったのは、2003年ぐらいですね。ですがそれと同時に、アニメーションでもうちょっと日本的なものとか、アート系の方向性で新しいスタイルが作れるんじゃないかと思ったんです。絶望したあとになんとか別の希望を繋いで、その結果ああいうかたちになりました。絶望から転じて希望になったのは、アニメーションとは"アミニズム(聖霊崇拝)"であるということにピンときた瞬間があったからなんです。アニメーションがストーリーじゃなくて、アニメーションそのもの、それ自体、が、もともと有機的・神的な存在なんじゃないかと。これも僕の勝手な妄想なんですけど。ノーマン・マクラレンの「アニメーションは動く絵の芸術ではなく、絵の動きの芸術である」っていう言葉があって、この言葉を初めて聞いて、「ああ、すべては動きの集積なんだ」「流動的な存在なんだ」と感じたんです。アニメーションの絵というのも、基本的には動きのためにあって、大事なものは動きで、その動きの集積でアニメーションはできている。細胞という生命の小さな単位の集積でできている人間の体=生命もそれに似ているなと。ある本で「生命の定義は"流動性"である」と書いてあってなるほどと思ったんですね。だから、シンプルで有機的なアニメーション=生命、をどんどん集積させていったら、生命とか宇宙とか神に近い存在を現出できるのではないか、とか考えたわけです。 とにかく、新しいアニメーションスタイルを作りたかったんです。
アニメーションそのものが神的?
「アニメーション(animation)」という言葉には、もともと命を吹き込むっていう意味があって、本来動かないものが動くってことなんですけれども、だから、単に技術の話ではなくて、もうちょっとスピリチュアルな意味があるんではないかと。「アニメーション(animation)」と「アニミズム(animism・聖霊崇拝)」の語源は共に「anima(生命・魂)」なんですけど、この関係が面白いなと。僕のアニメーションは基本的にすべてこの三語の関係性からくるインスピレーションをもとにしています。僕らがアニメーションを見るときに面白いなって感じるのは、単純にキャラクターとかストーリーに感動しているだけでなく、アニメーションの中に「anima(生命・魂)」みたいなものを感じているからだと思っています。
実際には、1コマ1コマは動いてない、でも、連続すると動いているように見える。その、本当に命が宿った...ように思える、そういう瞬間ってありますか?
あります。1コマ1コマは不連続なんですよね。アニメーションはその不連続の集積なんです。1コマ1コマを高速で切り替えているので、そのときに動いて見えちゃうのは、全部、目の錯覚。要は1コマ1コマの間を人間側が保管しているんですよね。だからコマとコマの切り替えの時間が遅くても、より躍動的に動いてみえる瞬間が前のコマと後のコマの関係によってはあり得る。そういうのが描けたときに命が宿ったかな、と思える瞬間があります。それと、先ほども申し上げたように、人間は、絵と絵の連続から、動きを、生命を、想像してしまうわけですよ。そういう映像を見るための、コマ間の保管の想像力と、神様みたいなものを想像してしまう想像力は、近しいんじゃないかって思うんです。
制作過程でも、そのようなことを意識しているのでしょうか?
かなり意識しますね。視覚の仕組みだとか、どうやったらどう見えるかとか、そういうことを常に意識して取り入れて。「KASHIKOKIMONO」を作ったときは、まず、背景とキャラクターの区別がなくて、つまり図と地の関係がなくて、全部有機的に動いてるものを作りたいと思っていたんです。前述した、宇宙は有機的な存在の圧倒的な集積であるというイメージをそうやって表現できるのではないかと考えたわけです。インスピレーションをうけたり参考にする考え方は、絵画とかデザインの領域が多いんです。図と字の関係というのは、絵画の考え方ですし、僕のアニメーションの方法論の基礎は、レピテーションというデザインの考え方なんです。だから、エッシャーなんか理想ですよね。あのような錯視のアイディアをもっと取り入れたいです。
予測しなかった動きや表現が出てくることも?
ありますね。僕の作品は基本的に、シンプルな手描きのアニメーションをコンピュータ上で延々重ねて動きや形を増幅していくということを行っています。プログラムによる自動生成を手作業で繰り返す、というものです。アニメーションをを重ねれば重ねるほど複雑になっていきますし、予想できない動きや形も増えていきます。そしてそれが僕のアニメーションの面白さのひとつです。

ヒューマンエラーに感動するんだと思うんです。

制作方法についてお聞きしますが、これは、ペンタブレットでパソコン上で描いているのですか。
はい。基本的にはコンピューター上でやっているんですが、作業自体は手作業なんです。1コマ1コマ描くっていう作業だけで動かしているんです。動きはすべて手作業による動きですね。プログラムに任せた動きは一切ないですね。
プログラムを使わないってことですか?
その表現が難しいんですが、そういうことになるのかな。アプリケーションを使っていますけど、アニメーションの作り方とか、動きの生成の仕方っていうのは、手描きのアニメーションの工程と一緒なんです。僕のワークフローは、紙とかセルとか、全部アナログつかってやろうとしても再現可能です。実際にやったらすごく大変ですけど。
動き自体も、1コマ1コマ描いるっていうことなんですね?
はい、描いてますね。
手描きにこだわっていらっしゃるということでしょうか。
はいこだわってます。 そのうえで、スピードも。つまり自分の場合、作業効率も結構重要かなと思っていて。自分のモチベーションを高い状態においておくためには、作業工程がスピーディーじゃないとテンションが持たない。 例えば、手描きのアニメーションの1コマ1コマをスキャナで取り込むという工程は、できれば省きたい。面倒くさがりだから。 そもそも僕は、 手描き一筋でやっている人たちにはかなわないというコンプレックスがあります。僕はもともとアニメーションも絵も下手なので。一方で、生粋のプログラマーとか技術者には、デジタルという領域でかなわないとも考えています。でも正直なところ、そういう話じゃなくて、デジタルもアナログも関係ないよねって思っています。いいものを創るためには、デジタルもアナログも関係なく、その場そのタイミングで使用可能な、いいものだけを組み合わせれば強度の高いものができるというのが、僕の結論です。 とにかく、コンピューター上でやっているのは、効率が良かったというか、しっくりきた からなんです。それに、コンピューターっていうマテリアルが僕にとって面白かったんです。
どういうところが面白かったのですか?
コンピューターで描くのがなんか楽しかったんです。僕は以前、油絵を描いていたんですが、絵の具で描くと下手なんですよ。色を混ぜていくとどんどん汚くなってしまう。絵の 具は減法混色ですから混ぜるほど黒に近づくわけです。 でもコンピューターは加法混色なので、重ねていけばいくほどきれいな色になってくれるんです。僕には少なくともそう感じた。それが僕にとって非常に画期的だった。絵の具で描けないけど、コンピューターだったら描ける、じゃぁコンピューターを使えばいいじゃんって。
それで、デジタルもアナログも関係ない、と。
それだけではないですが。最終的にプロジェクターで出力されて目に入る工程は一緒なんだからと。どんなに手だけで描いたものでも、編集する段階で結局コンピューターを通っちゃうならデジタルになっちゃう。絵の具で描いたら表面上の個体差は出るでしょうけど、それ以上は変わんないじゃないかとは思っています。
コンピューターのプログラミングで動きの指示をせず、手描きで、1コマ1コマ作って動かしている、そのこだわりとは、どんなものですか?
全てが有機的に動くことを大事にしたいんです。1コマ1コマ手描きで動かすと、動きに"ゆらぎ"が出る。ゆらぎはコンピューターでは出しえない人間ゆえの"エラー"です。アニメーションっていうのは、ヒューマンエラーだと思うんですよ。 アニメーションの理想としては、ここからここまでこうしなきゃいけないというのがあるんだけど、そこまで身体がついていけなくて、理想とのギャップやエラーがあると思うのですね。そのエラーのようなものの集積が最終的には有機的な動きになると思っているんです。人間を感動させられるのは、そこだと思っていて、ヒューマンエラーを起こすためには、どうするかを考えると、手描きっていうものをやり続けるしかないかなと。そういうエラーやゆらぎがあるからアニメーションが面白いんだと思うんです。
私たちが感動するところは、そこなんですね。
まず大事なのは"動き"で、動きっていうのは、アプリケーションを色々使えばつくれるんですけど、それだけでは人間が感動する動きにはならない。モーションキャプチャーとかでCGをつくってる人も、最終的には手で直したりしてるようです。最後の最後は感覚で勝負しなければならないんです。
ヒューマンエラーって、おもしろいですね。
面白いと思いますね。エラーは、コンピューターを入れることで際立つというか、「これはエラーだったんだ」とわかるということがあると思うんです。コンピューターと身体があって初めてできるものなのだと思いますね。そういう意味では、僕なりに、 デジタルと手描きとをいいバランスで使っているかなと。 作業は、すべて手作業でアナログなんだけれども、構造とか仕組みとか考え方はある意味デジタルというか。

歴史的な中で、見てもらえるようなポジションに

ハイビジョン、4Kの環境だからこそできたこと、その環境でしかなしえなかったことって、何かありますか?
※4Kとは...フルハイビジョンの解像度(1920×1080)の4倍に値する超高解像度(4096×2160)。水平画素数は約800万画素。
大きさのコントラストです。4Kという映像環境においては非常に小さいアニメーションと非常に大きいアニメーションを同時に表示することができるんです。例えば、ミジンコとかプランクトンの小さい生物と、くじらみたいな大きな生物がいたとして、その大きさを対比する映像っていうのは今までは違うカットを切り替えることでしか表現できなかったんです。それをひとつの同じ画面の中で比率を保持したまま表示できるっていうのは、高解像度だからなんです。3万倍とかそういういう比率のものを同一画面に表示できて、それを使った演出とかが可能になる。新しい技術っていうのは、それまでなかった映像の使い方ができるようになる可能性があるんです。例えば、映画「スター・ウォーズ」に出てくるような3Dモニターができたら、映像の使い方や見方が変わってくると思うんです。そしてそういう技術の進化は、コンテンツ側の発明、イノベーションの可能性をはらんでいると思うんですね。テクノロジーや新しいものに真摯に向かっていくことは、自分が表現したいものを実現するための手段だと思っています。
4Kを使うことで、新しい表現が生まれたと。
そうですね。例えば、僕が考えている、小さな有機的なものをたくさん集積させるとか。小さな動きを重ねて、大きな動きを表現できるとか。本当はもっと細かくしたいんですけど...。
初めて4Kでやったときは、どのようなお気持ちでしたか?
うれしかったですね。うれしいポイントは3つありました。 まずは、自分が本来考えていた映像表現とかクオリティにようやく近づいたな、と。 厳密にはまだまだですけど。2つ目は、ここ数年の念願が適ったと。2006年から4K映像は目標でしたし、そのために研究をしていましたから。3つ目はまわりの期待に添えることができたこと。私に4K映像制作をさせてくださった研究者の方がいるんですが、制作の成功でその方にひとまず恩を返すことができたと思います。一生の恩人ですね。ただ再生する機材が高価なので、作っている間には見ることができなかったのです。なので、上映会のときに機材のある施設に行って初めて見ました。感動しましたね。自分の作品なのに。それと本当にありがたいことに、ソニーでそのプロジェクターを設計した方から、「こんなに性能を引き出してもらってありがとうございます」とコメントをいただきまして、うれしかったです。
一般の人は4Kを見る機会ってないですよね。作品をより多くの人に見て欲しいと思っていらっしゃると思うんですが...。
見て欲しいですね。見て欲しいんですが、一番見てもらえる方法を考えた場合、商業的な作品で自分の名前が売れるってこともあると思うんですけど、それに加えて歴史に残るみたいな、見られ方をしたい。例えばモナリザって、世界中のいろいろな人に見られてますよね。そうやって歴史に残ると、後世の人が見てくれると思うんです。映像に関して言えば、あるフォーマットで初めてつくったものは、技術とともに後世に残ることがあるんです。 リュミエール兄弟は映画を発明し映画術を研究した。だから歴史に残ったし、いまでも映像の授業のはじめに必ず出てくる。学生は皆観るわけです。あれが羨ましいですね。 今は見てくれないけど、このフォーマットがもっと広まったときに、多分、もっとたくさんの人が見てくれる可能性があるんじゃないかと。だから、今すぐみんなに見てもらうよりも、歴史的な中で見てもらえるようなポジションになりたいなっていうのが僕の考えです。
素敵ですね。今後やってみたいことは?
色々ありますね。ソニーさんが360度から見れるモニターを作っているんですよ。電柱のような形態になっていて、モニターとしてぐるっと周って見れるんです。そういう、映像の新しいフォーマットができたときに、それを最初に試せる人になりたいですね。必ずこの人につくってもらえば面白くなるって思ってもらえるようになりたい。
常に新しいことにチャレンジしたいと?
アニメーションの世界にはもっと先鋭的なものが必要だと思うんです。これまで偉業を残してきたさまざまな作家をとても尊敬していますが、尊敬するからこそ、彼らとは異なる新しいスタイル、スタンスで創作をしていきたいんです。これからの世代のアニメーションは、もっと広い意味で無茶な可能性があってよいかなと。テクノロジーとアートの融合は常に自分の至上命題でもあり、新しい概念のアニメーションやスタイルを考えて行きたいと思っています。
新しいものに挑戦していくとき、その時のテーマは、神とか森羅万象ではない、新しいテーマが生まれると思いますか?
それはわからないですが可能性はあると思います。洗練していく中でそれが変わっていったらいいと思っています。でも変わらなくてもいいかなと。「森羅万象」に関するコンセプ トやモチーフはいまのところ一番しっくりきているところなので。 ところで僕は、自分の感覚ってものを信用してないんです。その日の気分でものの見え方が変わるなんて、なんて人間の感性は信用ならないんだろうと。だから、数学の普遍性に憧れます。 まだまだ勉強や研究しなくてはならないことが多いですね。その過程が作品になっていく のだと思います。あらゆる人間の感性にインパクトを与えることができる、普遍性を持ったものつくりが理想ですね。きっとアーティストやクリエイターは皆同じでしょうけれども。そのためにも人間の感性を研究したいですね。今後も精進します。ありがとうございました。

(2009年11月)


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