情報誌 毎月22日発行

7月号 / 2009

:インタビュー 「村中大祐さん」

09.08.18


指揮者 村中大祐氏

指揮者 村中大祐氏
Daisuke MURANAKA

プロフィール

村中 大祐(むらなか だいすけ)
東京外国語大学ドイツ語学科卒。ウイーン国立音大指揮科でカール・エーステライヒャー、レオポルド・ハーガーに師事。1995年トーテイ・ダル・モンテ国際オペラコンクール指揮部門「ボッテーガ」ならびに第1回マリオ・グゼッラ国際指揮者コンクールで、第1位を獲得。97年トスカニーニ国際指揮者コンクールベスト3。95年よりペーター・マークのアシスタントを務める。これまでにフェニーチェ歌劇場、パレルモ・テアトロ・マッシモ、グラインドボーン音楽祭、新国立劇場に招かれ、イギリス室内管、ベルギー放送響にも客演。2006年より横浜みなとみらいホールにて、横浜オペラ未来プロジェクトならびに横浜OMPオーケストラの芸術監督および指揮者を務める。2001年出光音楽賞受賞。2007年ヨコハマ遊大賞受賞。
村中大祐さんのWEBサイト:
http://www006.upp.so-net.ne.jp/muranakaomp/

イベント

横浜開港150周年記念 横浜オペラ未来プロジェクト2009
モーツァルト作曲オペラ「フィガロの結婚」
日時:7月17日(金)18時30分開演、18日(土)15時開演
場所:横浜みなとみらいホールhttp://www.yaf.or.jp/mmh/

2005年9月にスタートした横浜オペラ未来プロジェクトは、「横浜から世界へ」をモットーに、若手音楽家の発掘とその育成・支援を目的とし、年1回、世界中から若手音楽家を募り、オーディションを行い、その合格者によるオペラを横浜で上演。リーズナブルにオペラを鑑賞できるだけでなく、公開リハーサルやバックステージツアーなどのプログラムも企画され、様々な角度からオペラを楽しめる横浜ならではのプロジェクトです。

横浜オペラ未来プロジェクトが立ち上がるまで

今回4回目を迎える横浜オペラ未来プロジェクト(以下、横浜OMP)ですが、今回は何名ぐらいの方がオーディションを受けられたんですか?
1次審査の時で150名くらいですね。毎年受けてこられる方もいらっしゃるんです。その中で、通られる方っていうのは、やっぱりそれなりにそのときのきらめきがあって、今が旬だ!っていうところを我々がぱっと掴むんです。例えていうなら、我々は、旬の時期に吊り上げた魚をどう料理するかという、すし職人みたいな感覚なんですね。今回は毎回出ていただいているアルマヴィーヴァ役の清水宏樹さんはもちろん、フィガロ役の大山大輔くん、伯爵婦人役の日比野幸さん、スザンナ役の古瀬まきをさん、ケルビーノ役の鷲尾麻衣さん、バリバリーナ役の松原典子さん、彼らの歌唱力と演技に注目していただければと思います。なぜかというと、おそらくここで見ていただいた後に、彼らが東京の舞台のいろんなところで活躍し始めるはずです。それは、既に過去にも例があるんですが『ここに出ると、その後必ずいろんなところでデビューしていく』っていうことです。それはもうお墨付き。登竜門ですから。
2005年にこのプロジェクトを立ち上げたきっかけを教えてください。
これは、2003年に遡るんです。僕はその当時、ローマに住んでいまして、その年の秋口、11月にスイスで仕事が終わって、そろそろちょっとほっとしたいなと思って、シチリアに行こうとしていたんです。その飛行機のなかで、声が聞こえたんです。「オーケストラをつくれ」って。その日が11月23日で、たまたまなんですけど、キリスト教の聖人のひとりで、音楽の神といわれているサンタ・セシリア(キリスト教の聖人。特にカトリック教会において有名な聖人であり、音楽家と盲人の守護聖人とされる)の記念日だったんです。
何か使命感を感じたわけですね。
偶然ですよ、これ全部。その偶然に偶然が重なって、ほっとしたいなと思って飛行機に乗ったときに、雲の間でそうやって聞こえてきたんです。それからしばらくたって、どういうわけだか、実行に移そうと思うようになって。企画書とかいろいろ書き始めるんです。
それが、きっかけとなったわけですね。
それから、具体的にこのプロジェクトをつくるために、原点になったものが二つあるんです。ひとつは、僕の師匠のペーター・マーク。2001年に亡くなった師匠がいるんですが、彼がトレヴィーゾって場所で、トーテイ・ダル・モンテ国際オペラコンクールの審査委員長をやっていたんです。そこで、コンクールの後に優勝者たちとオペラのプロダクションをするっていうことを始めたんですね。音楽の世界でいうコンクールは、コンクールだけに照準が当たってしまって、受賞者とはそれが終ると「はい、さようなら」なんですね。それではもったいない。その企画を彼が、イタリアのベネット州でつくったんですけど、実は僕もそのコンクールで優勝して、今この場所にいるわけです。自分のマエストロがつくりあげた企画、彼の意思を継ぎたいと思ったんです。

それから、ふたつ目は、クラウディオ・アバドがやってる、グスタフ・マーラー・ユーゲントオーケストラという、ウィーンで彼がつくった小さい編成のオーケストラです。これはヨーロッパ25都市で毎年オーディションを行って作っているオーケストラなんですが、新しく彼が作り直して、オペラをやり始めたんです。それが、1980年代の後半だと思います。それで、僕がそのイタリアの仕事で、プッチーニの『マノン・レスコー』で成功した後に、たまたま、クラウディオ・アバドの親戚筋の方たちや、サポーターたちが「村中をアバドのところにやれ!」ということになり、アバドのところで勉強させてもらってたんです。それで、彼が指揮をしているフェラーラ・ムジカ合唱団を聞きに行って、マーラー・チェンバー・オーケストラに出会い、そこでオペラをやるんであれば、やっぱり、こういった環境とこういうオーケストラが必要だということを実感したんです。
このふたつ、自分のマエストロがやってたことと、クラウディオ・アバドがやっていたこと、このミクスチャーを、できたら横浜でやりたいっていうのが発想としてでてきたんです。
かなり大きなプロジェクトですよね。
はい、その時、当時の方たちが本当によくそれを理解してくださって、それで形になってでてきてきたものが「横浜オペラ未来プロジェクト」です。そのときに、第一に考えたのは、コンクールをしてそれで終わりではなく、そこで結果を出した将来有望な若手音楽家たちが、実際に舞台に立てるチャンスをつくろうということ。そこには、オーケストラの方たちが室内楽をやるチャンスや演奏会をするチャンスっていうことも含まれていたわけです。実際にオペラをやるってことになると、オーケストラも必要ですからね。
オーケストラも1から作り始めたということですか?
そのときに、東京フィルハーモニーのコンサートマスターであった三浦章広さんを存じあげていたので、彼にお願いをしたら、彼のご縁で色んな方が協力してくれたんです。ほんとに、ふってわいたようにオーケストラがすぐできて。これもオーディションしたんです。だからほんと、色んな方々に支えていただきました。それは、横浜みなとみらいホールもそうですし、150周年事業部も、横浜市も、馬車道の商店街の方たちも。本当にいろんな方たちの協力をいただいて...。本当に感謝してるんです。

横浜OMPで表現される「横浜の色」

村中さんのホームページを拝見させていただいて「郷土色というものが音楽にもっと出ていい」と書いてあったんですけれど、それはどのようなことですか?
それはホント、核心なんですよ。
横浜の郷土色っていうと?
『横浜の郷土色』っていうとなんか、落ち着いちゃうイメージですね。この街の空気にも、街並みにも「色」っていうものがあると思うんですね。僕は、以前、ウィーンに7年住んでたんですが、その後、イタリアに行って、その時にヴェネツィアとかベネット州の色が全く違ったんです。ウィーンに近いんですよ。で、ミラノに行くと、そうだな...(思い出しながら)赤い色が少し混ざるんです。フィレンツェに行くと黄色が少しまた混ざるんですよ。そのちょっと南のローマに行くと、びっくりしたのが、青が増えるんです。全体の基調の色っていうのは、見る方それぞれだと思うんですけど、街って色んな色があるんです。そして、その色を自分なりに、印象として自分のなかに植えつけるんです。それが僕のその街とのかかわり方なんです。それに慣れたから日本に帰ってきて、自分の生まれ育った横浜に来たときに、やっぱり同じような感じ方で横浜を感じたんです。東京とは全然違うんですね。で、違うのは、多分、水があるからなんですけど、港があって、なんていうんだろう、凝縮した気じゃなくって、開放した気があるんです。港があるから。浄化されるんだと思うんですけど。みなとみらいができたことでまた、変わったんですね。青が増えた。で、その色に合うような音をつくらなきゃいけないと思ったんです。それぞれの方が、それぞれの横浜を感じてもいいと思うんだけど、表現者たるものは、自分とかかわりのある街の、アイデンティティってものを生み出さなきゃいけないと思うんですよ。僕は、この横浜OMPを通じてそれが出せたと思います。
横浜の色が出たオペラですね
そうです。でも、郷土色というよりも、その方、個人個人で自分の感性で「横浜ってこういう色だと思う」っていうのをもっと表現しないといけないとも思います。
今回のオペラに「フィガロの結婚」を選んだのはなぜですか?
「フィガロの結婚」は、僕が一番やりたかったオペラなんです。それは見る人を幸せな気持ちにさせてくれるから。そして、僕がウィーンにいたときに、イタリアに行くきっかけになったオペラでもあるんです。大学在学中に、リンツかどこかの劇場で、コレペティの試験を受けにいったんです。コレペティって、劇場付のピアノ奏者のことなんですが、で、課題曲が「トリスタンとイゾルデ」と「ラ・ボエーム」と「フィガロの結婚」とあと何か現代曲だったんです。トリスタンとかボエーム、フィガロもできたんだけど、伴奏のほかにレスタティーボ(アリアとアリアの間、会話や独り言等を朗読調に歌う部分)といってセリフが入るんです。で、当時は、イタリア語がそんなにできなかったんです。プッチーニ程度のイタリア語だったらできたんだけど、モーツァルトのイタリア語はいかんせん難しくて...。もうめちゃくちゃでした。ほんとにイタリア人のようにしゃべらなくちゃいけないのに、できない。それで「おまえ使えない」って言われたんです。「ピアノはうまいけど、ダメ。トリスタンもうまいけど、ダメ」。って。どうしよう、レスタティーボをマスターしないと仕事が出来ないって...で、それがきっかけで、その後、イタリアに行くんですけど、そのきっかけになったのが「フィガロの結婚」なんです。だから、僕をイタリアへいざなってくれたオペラともいえます。

それから、師匠のペーター・マークが、フルトヴェングラー(20世紀を代表とする指揮者)から唯一お墨付きをもらったのが「フィガロの結婚」でもあるんです。一応、孫弟子としては、師匠のそういうのがあるので、モーツァルトは一番得意としていて、しかも「フィガロの結婚」は僕にとって想いがあるオペラです。ちょうど今日が師匠の命日なんですよ。たまたまね。
今日、4月11日がですか?
今朝、気が付いたんです。僕は新しいものを生み出していくこともしているかも知れないけれども、どちらかっていうと伝承するってほうが主体なんです。19世紀とか20世紀とかにずっとやられてきたものを、自分がなるべく伝承しようって思って今まで勉強してきたので。偉大なアーティストから、受け止めて出てきたものが自分の中にありますしね。

様々な角度からオペラを楽しめる仕掛け~横浜OMPの楽しみ方~

公開練習やバックステージツアーもされているんですよね。
そうなんです。オーケストラの公開リハーサルは、歌がない、メロディーがないものをご覧いただくんですが、それを、面白いって思って聞きに来てくれる方がいるんです。そういう方たちが、道を歩いてると声をかけてきてくれて。「村中さん、あれ面白かったよ、今度見に行くよ」って。それを聞くと、とてもうれしいですね。
なかなか、見られないものですからね。
やる側としては結構大変なんですけど、裏の裏まで見ていただきたいですね。しかもこの企画が定着しているので、オーケストラも歌手の方たちも何の問題もなく、むしろ、そこで少しお客さんとコミュニケーションとったりとか、そういうのもできますしね。
そういう裏の方まで公開するっていうのも、企画のコンセプトの中にあったんですか?
そうですね。場所も、ホールの中だけじゃなくて、自分から外にでていかなきゃいけないっていうのはあったんです。ほんとはもっと色んな場所でできればなと思ったんですけど。
「フィガロの結婚」のチケットはかなり破格ですが・・・
パンフレットを見ての通りです。オペラのマネジメントって非常に難しいんです。かなりお金がかかります。今回は、横浜OMPを応援していただいた様々な方や、横浜開港150周年記念ということもあって、この価格が実現できました。横浜OMPは、オペラのオーケストラとしては、日本では最高度のオーケストラになってると思うんですね。歌手もそうですし。やっぱりその、横浜ってことを意識していて、何をやろうかってなったときには、やっぱりオペラブッファ(「ブッファ」は、イタリア語で「おどけた」を意味する。オペラブッファは、喜劇的なオペラ)でないと、と思いましたね。グランドオペラ(大規模なオペラ)のような派手なものはお金もかかるし、ある意味でいうと、実は誰でもできるんです。だから、それは他のカンパニーに任せておけば、いくらでもやってもらえるんです。
ここでしか見ることのできないオペラなんですね?

そうです。でも、若い方たちが出演して、あの、本当に細かいところにまで手を入れて、一緒につくっていくこういうオペラブッファっていうのは、実は一番難しいんです。それから今回もそうですが、悲劇よりも喜劇のほうが難しい。しかも、喜劇が出来る方がなかなかいないんですよ。例えば今回のキャストの松山いくおさんとか、清水宏樹さんとか、こういう方たちがなかなかいないんです。だから今回の『フィガロの結婚』は、そういう意味で集大成っていってもいいと思いますね。

「お前たち男は好きなことやれ!」

村中さんは、子どもの頃から指揮者を目指していらっしゃったのですか?
実は、ピアニストになりたいと思っていたんです。ところが徹底的に村中家に反対されて、ほとんど独学でピアノを弾いていたんですよ。高校時代はバレーボールをやっていたので、腫上がった指で、そのまま弾いてたりもしてました。そんな時、大学受験前の夏期講習で、予備校の英語の先生が「お前たち男は好きなことやれ!」というようなことを、さんざん言うんですよ。それで、やっぱりそうだ!って思って、家で土下座して「音楽をやらしてくれっ!」と頼んだんです。頼んだ時に何が起こったかっていうと、「じゃ、私の師匠のところに連れていきましょう」って母が言うんですよ。師匠というのは、佐々木成子さんとおっしゃる方で、母が声楽を習っていた先生なんです。で、ドイツリートの大家で、ウィーンで勲章を貰ったような方なんですけど、50年代に留学されていて、今ちょうど90歳くらいなんですけど、まだ歌ってらっしゃるんですね。で、その先生の前に連れていかれで「大ちゃん、あなたはね、お母さんのお腹にいたときから知ってますからね。18歳で今からピアノっていうのはちょっと遅いわよ。その年で(世の中に)でてなきゃ食べていけないわよ」っておっしゃるんです。僕が先生に「じゃ、どうしたらいいですか」と問いかけると「指揮者になりなさい、大学行ってドイツ語をやりなさい」と。で、ドイツ語をやるわけですけど、「私のとこに来て、リートの伴奏の勉強をしなさい」ってわけですよ。僕はピアニストになりたくてピアノ弾いてたんですけど、ドイツリートの伴奏を始めるんです。それが僕の原点になるんです。
ドイツリートとはどんなものですか?
ドイツの歌曲で、音楽の雛形なんですよ。面白いのは、グスタフ・マーラーのシンフォニーを理解するのにどうしたらいいかっていうと、歌曲を勉強する。ブラームスを理解するのに何をしたらいいかっていうと、歌曲を勉強するんです。で、それができると、全部わかるんです。もうひとつ面白いことに、詩がついているでしょ。詩の朗読をして、音楽との結びつきを考えていくわけです。3分とか5分とかのあいだに、曲の中にドラマがあるんです。で、それが本当に勉強になって。外語大に行っていたときには、ESS(英語部)に入ってて、英語劇をやったんです。そしたら、これがまた生かされたんです。それから、ドイツリートの伴奏をやってるうちに、ピアノだけじゃもの足りなくなってきたんですね。
村中さんがその、キャリアの中でオペラってものを、ご自分の中心においていらっしゃるのかな、って思ったんですけれども。
師匠のペーター・マークについていって、あちこちの歌劇場、30箇所くらいあったんですけど、そこでオペラをやっていたので、印象としては、キャリアの中でオペラが主であるように見えるのかも知れません。でも、オペラをやったらシンフォニーをやりたくなるし、シンフォニーをやったらオペラをやりたくなるっていうのが、昔からの指揮者の常なんですよ。
「オペラ」と「クラシック音楽」というと、まったく、別ジャンルみたいにとらえちゃっているようなところもありますよね。

そんな、難しく考えなくてもいいと思います。食わず嫌いじゃないですけど、にんじんとか、いんげんを嫌いな子どもも、いつかは煮物のおいしさがわかるようになる...。そういう話だと思います。

弾いてる方と聴いてる方が一緒になる瞬間

村中さんが指揮者をやっててよかったという瞬間は、どんな時ですか?
弾いてる方と聴いてる方が一緒になる瞬間があるんですね。そういうのを感じられる瞬間っていうのはほんと、幸せなんです。自分は人が生きて、初めて生かされると思っているんです。なので、相手を生かさないことには、自分は生きられないんですよ。だって、ひとりで(指揮棒を)振っても音はでないですからね。だからここで、ちゃんといい顔して弾いてくれてて、楽しんでくれて、そして、ここが肝心なんですけど、楽しんでくれていたら、楽しい気が後ろ(客席)に伝わるんです。楽しんでくれてなかったら、例えば、しかめっつらして弾かれてたら、絶対つまらないですよ。だから、いかに本当の意味で楽しくなるかっていうと、やっぱりクオリティーなんですよ。生きるっていう瞬間を?ぎ合わせていくと、それがパワーになって、それこそ渦になって、ワーッと。
楽しい「気」?
そうです。だから、指揮者はほんとはいなくていいんですよ。だから、消えちゃうのがほんとなんです。いても消えてる。見えなくなるっていうんですかね。お客さんも、指揮者を見ているのは、実は音楽がつまらないからなんですね。だって、本当に音楽を聞いているんだったら、見る必要ないじゃないですか。確かに視覚って大事なんだけど、こっち(耳)にも視覚ってあるんですよ。だから耳で見て、目で聞くってことあるわけで...。本当にそこでものすごい何かが起こっていたら、それに引き込まれていくんですね。そういう時って必ず、気が充実していて、楽しんでいて、楽しい気がお客さんにまでまわってて。お客さんまで参加してるんですよ。それが、僕は好きなんです。でもね、プロフェッショナルになると、それを忘れるんですよ。
プロフェッショナルになると、忘れちゃうんですか?
そうなんです。だから、横浜OMPは若手の音楽家のために存在することはもちろん、自分のためでもあるんです。オーケストラの中に若い方たちがいて、気が澄んでいるんです。それがほんとに、何ていうんだろ『ふわん』って上がるんですよ、気が。音が上がるっていうのかな。そういう空気ができるんです。で、その気のボールを、僕らはずっと転がしていくんです、ずっと...。2時間なら2時間。時には、こぼれ落ちちゃうこともあるんです。そうすると、失敗。そんな感じで、こっちが教えられることのほうが断然多いんです。横浜OMPの演出家のハンペさんだって多分そうだと思いますよ。くやしいから言わないけど(笑)だから喜んで日本へ来るんですよ。新国立劇場のモーツァルトのシリーズをすべて断って、こっちにきてるんです。何か得るものがあるからなんですよ。

横浜オペラ未来プロジェクトは私の理想です

今回初めて、オペラを見る方にアドバイスをお願いできますか?
芝居なので、本当は芝居を見る中でストーリーをわかってほしいんだけど、なかなかそれができない。なのでそのために、ちゃんと字幕が横に出るようになっているんです。すごくわかりやすいですよ。で、このオペラっていうのは、階級差がある社会を背景に始まるんですけれど、日本に置き換えて封建時代の領主さんと小姓さんがいた時代を思い浮かべてみれば、そういうのは何となくわかると思うんですよね。何よりも大事なのは、人間のいとなみが、全部そこにあるわけですよ。マリマヴィーヴァ伯爵の家来フィガロが、侍女のスザンナとの結婚をめぐって繰り広げられるアクシデントや葛藤には、時代や国にかかわらず、どこにでもありそうな感情の襞がいっぱいあるんです。それを、オペラを見に来るまで知らなくてもいいし、勉強もしなくていいんだけど、どこかで拾ってちょっと見ておくと、すごくわかりやすい。
そして、ハンペ氏の舞台が素晴らしい!それはなぜかというと、ハンペ氏の美学がちゃんとあるから。舞台がたとえようもなく美しくなるんです。それは、2006年のコジ・ファン・トゥッテのときからそうだったんです。こんな簡素な舞台で美しくなるわけないのにな、と思いながら見てたけど、素晴らしく美しい。そして、何日かの稽古で、若い役者が彼の手にかかって、舞台の立ち姿が、まるでその役柄の年輪を感じさせるまでのところに行き着くんです。僕たちは、今までのケースが立証するように、間違いなく日本で最高の舞台をつくってますから。美しいものもあるし、人間的なもの、任侠のドラマにあるようなものもあります。それらがモーツァルトの美しい音楽とイタリア語で表現されているのがこのオペラです。ストーリーの最後にはちゃんと許しがあり、ハッピーエンドで幕を閉じます。だから、フィガロと幸せになりませんか?っていうことなんです。で、このオペラを見て幸せな気持ちで帰ってほしい。この「フィガロの結婚」は、ここでしか見られないですから。
村中さんにとって、このプロジェクトは、どんなものでしょうか?
僕の理想です。理想が現実になりました。そして、人材が巣立っていくための大きなシステムだと思うんです。例えば、以前、OMPの舞台スタッフで応募してきた方が、今ケルンの歌劇場で舞台スタッフになってる。だから、若い人たちって自分を表現するチャンスがあれば、自らどんどん切り拓いて行けます。そのためには、環境を整えてあげる必要があるんですね。そこに競争だとか、ネガティブなものがあっちゃいけなくて、非常に前向きな後ろ盾というか、周りが環境を準備してあげれれば、うまくいくと思うんです。このプロジェクトは、横浜市をはじめ、多くの方々の支えとご協力があってこそ実現できました。それは、僕にとって本当に幸せなことです。

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