情報誌 毎月22日発行

6月号 / 2009

:今月の表紙 中田彩郁さん

09.08.18


アーティスト 中田彩郁さん

アーティスト 中田彩郁さん

プロフィール

1983年埼玉県出身。東京造形大学造形学部デザイン学科アニメーション専攻卒業。現在はCMアニメーション制作会社に就職し、そのかたわら作品制作も続けている。『コルネリス』が第12回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査員会推薦選出、He Art2008 長崎水辺の映像祭ゴールドドラゴン賞受賞。代表作は他に『舌打ち鳥が鳴いた日』『おばあちゃんの作業部屋』など
中田彩郁さんホームページ

 

中田彩郁さん作品「コルネリス」上映情報

ヨコハマ国際映像祭2009 セレクションプログラム
「現代日本のアニメーション集」山村浩二セレクション
日時:2009/11/7(土)15時、11/23(月・祝)15時
場所:東京藝術大学大学院映像研究科馬車道校舎
詳細→ヨコハマ国際映像祭2009

山村浩二の「私が推薦しました!」

アニメーションとダンスは、動きの創造という点で親近性が強い。だがアニメーションは、現実の重力や身体の限界に縛られない自由さの反面、重力も身体性も創作しなければならないという不自由さがある。『コルネリス』は、その両方を巧みに操りながら動きというアニメーションの本質に挑み、トリッキーな展開で魅了する。冷静な視線と落ち着いた創作への姿勢、若くして卓越した技術を備えた中田作品にこれからも大いに期待したい。


《舌打ち鳥が鳴いた日》2004年、4分46秒、アニメーション


《おばあちゃんの作業部屋》2005年、2分54秒、アニメーション


《コルネリス》2008年、3分18秒、アニメーション

※「ヨコハマ・アートナビ」では、東京藝術大学大学院映像研究科の協力により、若手アニメーション作家をご紹介しています。毎月、登場する作家は、『頭山』や『カフカ田舎医者』で世界最高峰のアニメーション映画祭のグランプリを多数受賞した、山村浩二さんによるセレクション。2009年5月より、作家のインタビューとともに動画を配信しています。(~2010年4月)

きょとんとした男がリズミカルに踊る。ジャケットや帽子までもが彼と息を合わせた小気味好い二分半の作品《コルネリス》は、昨年「ヨコハマEIZONE」で新作発表したばかり。作家の中田さんにお話を伺いました。

情報誌「ヨコハマ・アートナビ」平成21年6月号表紙掲載作品
《コルネリス》2008年、3分18秒、アニメーション

ダンスとアニメーション

作品を見て思ったのですが、ダンスがお好きなんですか?
はい、好きです。コンテンポラリーダンスやパントマイムとか。そんなに詳しいわけではないですけど、動きを追求するという点で、ダンサーの方を観ていると「あぁ、すごいなぁ」と思いますね。勉強にもなるし、純粋に興味があります。
勉強になるなと思う以前から、趣味として見ていましたか?
そうですね。最初は純粋にミュージカルや舞台が好きで観ていたんですけど、今、振り返ってみると「アニメーションを始めたのと関係があるかも」と思います。
今回の「コルネリス」でも人の動きに注目したいとおっしゃってましたね。
実は、ダンスアニメーションを作ろうと思って作ったわけではないんです。今までは、ストーリーを伝える手段としてアニメーションを使っていたんですが、今回はアニメーションだからできる動きと、その面白さをもっとシンプルに表現しようと思って・・・。それで私は結局人に一番興味があるので、登場人物は人になって、あのようなかたちになったんだと思います。
「アニメーションだからこそできること」を表現しようと思ったときに、選んだのがダンスだったということですか?
そうですね。最初は無音の状態でただ作っていたんですが、音楽をつけてみたらダンスみたいになったという感じで。
じゃあ、そもそもが、そのアニメーションでできる動きを試してみようと。
そうですね。そこがアニメーションの面白いところなんですが、アニメーションって、1本の線が地平線なのか水平線なのか、何に発展するのかは自由なんです。そういう、何をやってもいいんだということをやりたかったんです。
確かに、予測がつかない状態にかたちが変わったりしますもんね。
今までの作品では、絵を描きこみすぎることで動きに制約ができて窮屈になってしまったことがあったんですが、この作品では、絵の要素は極力シンプルにすることでアニメーションの自由な状態を確保したかったんです。舞台に立つダンサーの動きが本人の身体より大きく感じたり、実際以上にやわらかく見えることってありますよね。でも、そう見えている状態そのものは劇場を後にすれば目の前から消えてしまいます。同じ演目でも毎回違うし、DVDで見ても違うし。それが生で見ることの素晴らしさだとは思うんですが。でも、そういう感覚を取っておきたいんです。ライブ(生)と同じ事はできないけど、コルネリスは、ひとつの挑戦なのかもしれないと思います。

"コルネリス"の謎

"コルネリス"はどういう意味なのですか?
よく聞かれるんです。何か特別な意味が含まれているんじゃないかと思われているようなのですけど、単なる人名なんです。主人公の彼に名前をつけたいと思って、音が面白い「コルネリス」とつけただけ。それ以上に何もないんですよ。申し訳ないのですが(笑)
登場人物の彼の顔がちょっと怖いのですが・・・あの表情にしたのは、何か意図があるんですか?
特別に意識したわけではありません。自然に人物を描くと、怖い顔であることが多くて。その他にも動物を描くと、目がちょっとびっくりしたような、全体的に目に影が落ちているような絵を描きます。なぜかよくわからないんですけど。
にこやかな表情にしよう、というわけではないんですね?
にこやかにする必要性は感じてませんでしたね。今、思えば、主人公の表情に人間性を盛り込んでいたらまた別の面白さが出たのかなぁとも思ったりしますが、制作時は人という記号としての意識が強かったかもしれません。ある意味、一番描きやすい顔ではあったんです。爬虫類っぽい顔にしたいなぁって。それがどうしてかというのは、今、聞かれるまで真剣に考えたことはなかったですね。
アニメーションのテーマや動きは、どんなふうに決めていくのですか?
コルネリスに関しては、絵コンテをあまり描かずに、まずその空間の真ん中に立っている主人公と相談しながら考えました。「次は何をしようかね?」という感じで、さっき左に動いたから、今度は右に動こうとか。行き当たりばったりだったんです。それでも、最終的にうまくつながったから、すべて考え抜かれたように見えるんですけど。
じゃあ、動かしながら決めていったんですね?
ジャケットがひっくりかえると色が変わる、最初の倒立のような動きと、スーツが羽ばたくような動きまでは決めていました。それ以外は動かしながら決めていきました。

自由な絵が描きたい

絵はいつごろから描いてました?
小さな頃から描いてたと思いますが、いつもつまらない絵しか描いてなくて・・・。物心ついたときから、マンガみたいな目にはキラキラ星が入ったような絵を描いてました。大人が描いた整った絵がいい絵だと思っていたので、それに近づけることばかり考えていました。今は、もっと自由な絵が描きたいなと思って努力してますけど、なかなか難しいです。
もっと自由な絵?それは、自分らしい絵ということですか?
自分が体感したものを絵に反映させたいとは思ってます。ある時、大学で外国の子どもが描いた絵をたくさん展示していたんです。外国の子どもたちは、たくさんの色を組み合わせたり重ねたりしていろいろな絵を描いていて、それぞれの感性を感じる絵がたくさんあったんですね。そして、そのとなりには日本人の子どもが描いた絵もたくさんあったんですが、みんながテレビアニメを見始めたんだろうな・・・とわかってしまう同じような絵。決まった肌色で塗って、目はキラキラ。葉っぱは緑。でも自分が小さい頃に描いていた絵にそっくりで。これがすべての価値観じゃないんだなぁって思い知らされましたね。
アニメーションを作るには、絵も描かなきゃいけないし、構成やタイミングなどすべてを学んでいかなければいけないんですか?
そうなんです。そんな途方もないことできるのかなといつも思うんですけど。でもやっぱり、知識がないと選択肢が狭まってきてしまうし、自分のアイデアを一番いいかたちに生かせなくなってしまいますよね。
今回の方法で作品をつくってみて、何か感じたことや得たものはありましたか?

楽しかったです。話を伝えるために踏まなければならない手順がなかったので、本当に楽しかったです。

自由があった、ということですか?
そうですね。ただ時間の制約があったので、もっと時間があったら他にも何かできたかも知れないって思ったこともあったんですけど・・・。
時間の制約というのは?
2008年の7月にヨコハマEIZONE(ヨコハマEIZONE=デジタル映像・アートを中心に最先端の映像表現を発信するフェスティバル。2008年は7月24日(木)~29日(火)に横浜赤レンガ倉庫1号館にて開催)があって、コルネリスはそこでの上映が初めてだったんです。和田淳さんもいらっしゃいましたけど、山村先生を筆頭とするAnimationsというグループで新作をみんなで発表しようということで、それが春に決まって、ヨコハマEIZONEまで3ヶ月しかない!わーっ、どうしようってことで大変でした。ただ今回は、仕上げを手伝って下さる方もいたので、ずいぶん助けられました。
みんなで共同して作るのと、ひとりで作るのとでは違いはありますか?
一人でやるのは、もちろん気楽だし、いい点もいっぱいありますけど、やっぱり多くの人とやるのは利点があると思います。自分にはなかった発想や手段が得られたり、客観的な視点があるということも利点のひとつですね。

見て感じたままを楽しんでほしいと思います。

ヨコハマEIZONEの他でも作品が上映されていますが、その中でうれしかった感想などはありますか?
「雁の群れのようだ」「シンプルな空間で想像の余地が残されている。」というのが一番うれしかった感想です。そういう作品が作りたいと思って作っていたので。「自分にもこんな状態がある」というのもうれしかったですね。色んなご意見をいただいて、中には「いわゆるアートアニメーションで面白くない」とか厳しい意見もいただいたり...。色々ですね。
イメージを形にする方法は、アニメーションの他にもたくさんあると思うんですけど、なぜアニメーションを選んだんですか?
体感している速度とか重さって人によって違うじゃないですか?今日は、世界とつながっていると思うくらい身体が軽かったり、閉じ込められているみたいにすごく重く感じたり。見かけは昨日と同じ私でも、その日によって気分が軽かったり重かったりと毎日違う。アニメーションは内側にある言葉にならない感覚のようなものをそのまま伝えられるんです。
作品を作る上で、大事にしていることはありますか?
内容に合わせて技法を選びたい、着せ替え人形のように作品を作りたくないと思っています。もともと強烈な個性のある絵が描けるわけではないんですけど、例えば、ある固まった作家性のようなものがあって、それをベースに、今回は白雪姫だから白雪姫の衣装を着せようとか、シンデレラだからシンデレラの衣装を着せようとかではなくて、シンデレラだったらシンデレラのために絵を選んでいこうということです。それから最近、自分が感じるタイミング、自分のリズムのようなものを大切にしたいなぁと思い始めています。
最近になって、そう思い始めたんですね?
自分でも始めの頃は気付いてなくて。1、2作目は、確実に気付いてなかったですね。大学に入っても、とにかくただ必死にやっていただけだったので、何が大切かなどということはまったくわからなくて...。今は発展途上ですね(笑)作家としてまだまだです。
そこに気付いてからは、何を見ても面白いと思うようになりました。普通に歩いている人にも「こんなふうに歩くんだ」とか・・・。
それは、その人の「リズムが」ということですか?
そうですね。動きに対する興味は、どんどん大きくなってきています。皆さんも意識していなくても、それぞれにあると思うんです。その人独特のリズムやこれが快感だと思うリズムが。それを無意識に感じとっているんだと思うんです。
中田さんもありますね。
そうですか?アニメーション監督のユーリー・ノルシュテインいう方がいらっしゃるんですけど、その方に第1作『舌打ち鳥が鳴いた日』を見てもらった時に「日本の若者は人生を楽しんでいない」と言われたんです。ノルシュテイン監督は「落ち葉を見ているのも楽しいんだ」って言ってたんですけど、その時は落ち葉の何が面白いのか全然わからなくって。でも、そういう面白さが何となくわかってきた気がします。
落ち葉の落ち方ひとつとってみても、くるくると回って落ちたりとかいろいろある、そういうことでしょうか?
そう。くるくるっと落ちて「すごい!今この瞬間は完璧だ!」とか。
楽しそうですね。
はい、以前は鈍感に見過ごしていたけれど、ちょっとしたところにも、美しいものがあるんだなって思います。まだ気づいてない面白いこともたくさんあると思います。
今後やってみたいことはありますか?
とにかく今は、今作っている作品を作り終えたいですね。
作品をどんなふうに楽しんでもらいたいとかありますか?
見た人それぞれに、何通りの解釈があっていいと思うので、見て感じたままを楽しんでほしいと思います。私もアニメーションだからできることは何だろう?って、模索しながら作品を作っているので。

(2009年2月 青山のレストランにて)


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