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「日本映画が“暗い・貧乏臭い・おもしろくない”と敬遠されていた時代に、状況を変えたいと始めた映画祭です」

スタートは1980年、誕生の場所は今はもう閉館した鶴見の名画座・京浜映画劇場。東京文化圏に飲み込まれ、横浜では上映しない作品が増え始めていたことに危機感を覚えた映画ファンが、横浜で映画を観られる機会を増やしたいと手を挙げたのがきっかけだ。元々映画の土壌があった横浜だけに、映画監督・今村昌平氏が開校した横浜放送映画専門学院(現在の日本映画学校)等、様々なバックアップに支えられ、紆余曲折を経ながらも何とか開催に至った。
「若者の新しい取組みに寛大なハマっ子気質も後押ししてくれたのだと思います」
当時、まだ学生だった北見さんは振り返る。

賞の選考に携わるのは年間最低でも100本以上の日本映画を観ている若手映画評論家、映画ファン35名。1年間に公開される日本映画約200本の中から、ベスト10と作品賞、監督賞、主演賞等の個人賞を決定する。
「完成度よりも思いの深さを重視する作品選び、それがヨコハマ映画祭らしさ。積極的に若手を応援し、評価することも意識しています。ヨコハマ映画祭から巣立った映画人に、日本映画を盛り上げ欲しいですからね」

その姿勢に賛同する映画人は多い。どれだけ愛されているかは、『キッズリターン』で作品賞を受賞した時の北野武監督のスピーチが物語っているだろう。曰く、「こんなに公正でありがたい映画賞はない!」
だからこそ、授賞式には多くの著名人が参列するのだ。

ヨコハマ映画祭の大きな特徴は、運営母体がボランティアで、企業や自治体からの金銭的支援を受けていないことだ。特にバブルの頃にはスポンサーの申し出も多かったが、自主性を重んじ全て断った。そのため財政は楽ではないが、抱える課題は別のところにある。後継者の育成だ。
「今は旗揚げメンバーの強烈な想いとリーダーシップが映画祭を引っ張っている。その骨がなくなった時に存続できるのか。また、それなりの知識・教養を持って、ちゃんと映画を観られる映画ファンを育てる必要性も感じています。評価をするのですから、ただ好きなだけでは足りないのです」

様々なドラマをうみながら運営すること四半世紀。今や地域映画祭の草分け的な存在に育ったヨコハマ映画祭だが、意外や、北見さん達、実行委員の中には老舗としての自覚は大きくないようだ。
「評価をいただきありがたいと思いながらも、まだまだこんなものでは文化を作ったとは言えないとも思っています。特に目指す形もなく、自然体でやってきましたが、とりあえずは30年。30年続けられたら、少しは胸をはれるようになりますかね」

自らも大の映画ファンである北見さん。小津安二郎監督の作品のような“人の情”が描かれた作品に出会うのが楽しみだそうだ。
「日本映画の魅力を多くの人に知って欲しい。もし会場に来られなくとも、興味を持って映画館に足を運ぶとか、レンタル作品を借りてみるとか、皆さんにとってヨコハマ映画祭がそんなきっかけになると嬉しいですね」 |
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●プロフィール
北見秋満(きたみあきみつ)。
日本大学映画学科に在学中、自主製作映画ブームに乗り遅れ、ヨコハマ映画祭立ち上げに出会う。98年横浜文化賞奨励賞受賞を契機に映画発祥の地リヨン・リュミエール研究所での日本映画祭に参画する。映画史に通じた企画上映のプログラム作りに評価が高い。93年ヨコハマ遊大賞、00年サントリー地域文化賞など。 |
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