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差し込む陽の光を柔らかに彩るステンドグラス。約千年前に西洋で誕生し、日本でには文明開化と同時に伝来したと言われている。開港の地、ここ横浜にも西洋建築とともに多くのステンドグラスが持ち込まれた。その多くが関東大震災や横浜大空襲で焼失したが、開港当時の世相が描かれた開港記念会館の「ポーハタン号」他や氷川丸船内のアール・デコ様式のものなど、今でも気軽に鑑賞できるステンドグラスが現存している。今月は、建築の意匠としてのステンドグラスを紹介する。 |
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横浜最古と言われているのは、横浜英和学院(南区蒔田町、TEL 045-731-1901)の礼拝堂にある1908年製のステンドグラスだ。学校が山手居留地にあった時代から礼拝堂に設置され、校舎移転(1916年)、礼拝堂の建て替え(1958年)の際も残され、また震災・空襲の影響も受けずに、現在まで98年もの長い間に渡って生徒たちに愛されている。
最古とわかったのは2001年のこと。たまたま同校の小宮まゆみ教諭が、展覧会で見たアール・デコ様式に似ていると気づき鑑定を依頼したところ、非常に貴重な品であることが判明した。
「以前から古く歴史のあるものと生徒たちには説明をしていましたから、それまでと同じように普段着で接しています。たくさんの方に見ていただきたいので、ご覧になりたい方はご連絡ください」 (横浜英和学院事務長・大沢和彦さん) |
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フェリス女学院 (中区山手町) カイパー記念講堂にあるステンドグラス設置の背景には関東大震災を巡る悲しい物語がある。1923年9月1日の震災時、まだ夏休みだった同校では校舎が倒壊焼失し、アメリカ人の第3代校長J.M.カイパー氏が出勤しており、ただ一人殉職してしまった。学校再建のため、母国アメリカ等から多くの寄付が集められ、講堂にはミス・カイパー氏の功績を後世に伝えるために氏の名前を冠したが、そこに寄贈されたのがこのステンドグラスだった。
「描かれた羊飼いは、迷える子羊を救う神の愛を表現したもので“For Others、他人のために”という学院モットーの象徴的な存在となっています」(フェリス女学院本部事務局広報資料室・中山和子さん) |
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現代の建物においても、学校や病院、老人ホームなど、特に人が集まる建物にステンドグラスは多く使われている。パシフィコ横浜・国立大ホールのエントランスにあるのは平山郁夫画伯の下絵による『星座'94 横浜』。天空の星空をイメージした作品で、夜空を見上げるような開放感を演出している。
「コンクリートで作られた建物は機能的ですが無機質。その中で人が無意識に欲する“安らぎ”を受け止める力を、ステンドグラスは持っています。暖かみのある空間を作る役割とでもいいましょうか」(光ステンド工房・横浜マイスター平山健雄さん)
普段何気なく目にしているものにも、様々なドラマや思いが背景にあるものだ。あなたの近くにあるステンドグラスにはどんな物語があるのだろうか。 |
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